瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

平井呈一『真夜中の檻』(15)

 儀三郎老人にいろいろと麻生家について吹き込まれた主人公が、数日後にその話の内容を解釈しようとする(82〜83頁)。

 儀三郎老人は、四代続いて麻生家に変死者が出たことを、しきりとなにか深い因縁ごとのように言っていたが、そういうことに因縁だの因果だのということを持ちだすと、話が主観的になって史実を見る目が曇ってくる。聞けば変死者はみな狂人だという。麻生家ばかりでなく、往々にしてこういう古い家は、長い歳月のあいだに……


 19行に及ぶ長い段落であるが、ここに引いた最初の部分が、引っかかる。
 儀三郎老人の言は1月30日付(13)に一部引用したが、ここに再度引用するに「四代つづいて本家では変死人が出ておるでのう、……、四人の当主が代々妙な死に方をしとる。」とのこと(77頁)で、昭和23年(1948)に没した先代の喜一郎も含めて「四人の当主」だと読める。だからそう書いた。
 その父・祖父・曾祖父の自殺は儀三郎老人によって「いずれも乱心の果」とされていた(77〜78頁)。けれども先代の喜一郎の死因を儀三郎老人は語っていない。
 ところが、主人公はこうして手記に儀三郎老人の言を記述しながら、「聞けば変死者はみな狂人だという」とまとめている。
 先代の喜一郎のことは辻村博士からも「当主の喜一郎という人は、いかにも旧家の若主人らしい温厚な人でね」云々と聞かされていた(18〜19頁)し、儀三郎老人も「死んだ喜一郎はわしも小さい頃からよう知っとるが、あれは利発な子じゃった。大学もいい成績で出たし……」(79頁)と語っていた。主人公もこの段落で「……喜一郎氏は大学を優秀な成績で出たという。天才は狂人と紙一重だなどというおおげさな例を引くまでもなく、……、色情狂の親から喜一郎氏という秀才が生まれたことだって、……」と述べており(83頁)、先代の喜一郎を狂人に含めてはいない。
 だとすると、先代の喜一郎ではなくその高祖父ということになりそうだが、全く触れられていない。そうするとこの「みな狂人」がおかしいので、「妙な死に方」にはやはり先代の喜一郎も入るのだろう。