瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島敦の文庫本(15)

新潮文庫1895(5)
 それでは、私がこれまでに見たものを材料に、新潮文庫の『李陵・山月記』の改版の按配を記述してみる。
昭和四十四年(1969)九月二十日発行
昭和五十三年(1978)六月十五日十八刷改版
平成元年(1989)六月十日四十三刷改版
平成十五年(2003)十二月十五日六十三刷改版
 これで全てだと思う。このうちはまだ見ていないが、見る機会を待って寝かせて置くとまたとんでもなく遅くなりそうなので、取り敢えず手許に揃えている②③④について書いて置いて、後日を閲覧する機会に備えたいと思う。

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 1頁、扉は改版ごとに組み直されているが、レイアウトは変更なし。3頁「目次」は既に述べたように「注解」がでは「吉田精一」だったのが③④が「三好行雄」になっている他は(もちろん頁数が違うが)同じである。そして5頁が中扉で標題が入る。7頁は「山月記」の扉。ここまで頁付なし。また偶数頁は白紙。8頁から本文。
 収録作品と、その扉から末尾までの頁を見てみると、
・「山月記」②7〜16頁7〜17頁7〜19頁
・「名人伝」②17〜26頁19〜29頁21〜33頁
・「弟子」②27〜67頁31〜73頁35〜88頁
・「李陵」②69〜119頁75〜128頁89〜154頁
と、頁数が改版の度毎に増えている。これはもちろん1頁当たりの字数を減らしているからで、は1頁17行、1行43字が11.8×7.5cmに印刷されていたのがは1頁17行・1行41字が12.2×7.9cmに、は1頁15行・1行37字が12.4×7.8cmに収められている。字は大きくなったが余白が少ない分、こうして古い版と並べて見るに、圧迫感を覚える。
 「注解」120〜133129〜170155〜206。②③では注が通し番号で入っていたが、は通し番号をやめて*で注を入れている。
 「注解」は必ず本文から参照する訳ではなく「注解」の方を見て本文に戻るケースもあると思うのだが、通し番号形式の注は「注解」から本文へ戻るのが大変である。尤も、本書は注が毎頁にあるから、そんなことはないのだけれども。
 通し番号だがは(一四五)まで、は(四八九)まで。は途中に作品名を差し挟まないが、は途中に作品名を入れて検出し易くしている。作品ごとに注の数を確認して見るに、
・「山月記」② 9項目(一)〜(九)46項目(一)〜(四六)
・「名人伝」②10項目(一〇)〜(一九)34項目(四七)〜(八〇)
・「弟子」②53項目(二〇)〜(七二)178項目(八一)〜(二五八)
・「李陵」②73項目(七三)〜(一四五)231項目(二五九)〜(四八九)
で、3倍から5倍ほどに増えている。三好氏はが出た翌年に死去しているので、には追加がないものと思い、数えたりはしていない。1頁20行、1頁21行、1頁18行。
 は通し番号をやめて、頁毎にまとめて示している。そこで、注のない頁を挙げておく。11・13・19・43・56・61・86・98・106・118・122・124・132・144・146・147頁の合計16頁。9割の頁に注がある計算である。
 瀬沼茂樹「解説」134〜141頁171〜178頁207〜215頁。末尾に(昭和四十四年八月)とあるが③④は(昭和四十四年八月、文芸評論家)となっている。
 最後(142〜144頁179〜181頁216〜218頁)に2段組の「年譜」があるが、これは組み直しているが内容も字配り(1段21行、23字)も全く同じで「昭和五十一年(一九七六年)/『中島敦全集』全三巻(三月〜八月、筑摩書房刊)/(本年譜は、各種の年譜を参/照して編集部で作成した。)*1」までとなっている。
 次に②③には前回触れた「文字づかいについて」があるが、これについては機会があれば別に検討することにして(しなくても構わないのだが)ここでは触れない。これは、にはない。

*1:括弧内が割書。