瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

太宰治『斜陽』の文庫本(12)

新潮文庫261(09)
 7月21日付(07)に、新潮文庫について鍵括弧の中の最後に「句点」が、にのみあって②④⑤にはない(は未見)と指摘した。
 しかしながら、を良く見て行くと、「句点」だけではないので、正しくは「句読点」であった。これは、教科書みたいに原文にない句点を、勝手に全てに機械的に打っているのとは違うだろうと思って、筑摩全集類聚『太宰治全集』第九卷(昭和五十一年十一月十日初版第一刷發行・昭和五十八年十二月三十日類聚版第六刷發行・筑摩書房・591頁)を見るに、107〜265頁「斜陽」に限らず、括弧内の最後「、……」や「?」でなければ句読点が打ってあるのであった。もちろん殆どが句点だけれども、これを新潮文庫は削除しているのである。
 がこの句読点を復活させたのは、筑摩書房版『太宰治全集』を見て、打った方が良いと担当者が思ったからじゃないか、という気がしているのだが、結局でまた句読点を削除して、でもそのままなのである。
 それで、で『斜陽』を読んだ。このブログのメモは、一応どの本で読むかを選定するための事前の検討のつもりなのである。そしてその目で見ると、④⑤の括弧内の最後に句読点がないのが、どうもおかしいように思えて仕方がない。
 それはともかく、読んでみるにカバー裏表紙の紹介文に「四人四様の滅びの姿」とあるのは、おかしいのではないか、と思えてならぬ。「結核*1」で死ぬ「お母さま」は「滅び」ているし、「自殺」する「直治」も「滅び」ている。しかし「麻薬中毒で破滅してゆく」とあるけれども、「麻薬中毒」であったのは「六年」前で、その後「だんだん……アルコールのはうへ轉換していつたやう」だし、戦地で「阿片中毒」になってはいるが、復員前に「なほして」いるはずで、復員後は「燒酎」や「お酒」は見えるが、麻薬に手を出している風ではない。「七」章の遺書にも「ゆうべのお酒の醉ひは、すつかり醒めてゐます。僕は、素面*2で死ぬんです。」とあった。
 そして「上原」と「かず子」であるが、「六」章、結核で「喀血」し、「死ぬ氣で飲んでゐるんだ」という「上原」は確かに「滅び」るつもりである。後朝に「いま幸福よ。」というかず子に対して上原は「でも、もう、おそいなあ。黄昏だ*3」と言う。かず子はすかさず「朝ですわ。」と応じるのだが、もちろん朝なのだけれども、かず子にとってはこれが夜明けなのである。すなわち、お母さま・直治は「滅び」、上原も直に「滅び」るつもりだが、かず子は「滅び」ずに「太陽のやうに生きるつもり」なのだ。
 従って紹介文が、太宰の【】「真の革命のためにはもっと美しい滅亡が必要なのだという悲愴な心情」を、太宰は【】「四人四様の滅びの姿のうちに描」いたのだ、という風にしているのは、かなり無理があるように思う。かず子について「破滅への衝動を持ちながら“恋と革命のため”生きようとする」として、無理矢理「滅び」の側へ入れようとしているのだけれども。――7月15日付(4)でも見たように*4②③ではABの間に4人の紹介が入るが、④⑤では4人を紹介してから「を、」という風に改めたのも、この無理に起因しているような気がする。そんなに効果があるようにも見えないのだけれども。(以下続稿)

*1:ルビ「テーベ」。

*2:ルビ「しらふ」。

*3:ルビ「たそがれ」。

*4:7月20日付(06)版あることを確認する前なので、このときは版のつもりで書いていた。