瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張「西郷札」(2)

 昨日の続き。21頁「四」章の冒頭、21頁2〜3行めを引用してみる。

 東京に出た雄吾はしばらく何をする気力もなく、毎日を怠惰に暮らした。
 明治十一年の東京はこの二十三歳の若者をもっとも刺激するものがあったはずである。……


 明治11年(1878)に二十三歳なら、安政三年(1856)生である。これは前回見た「一」章・13頁12〜13行めに「雄吾が二十一歳…/…となった正月は、明治十年である」と齟齬している。
 そんな雄吾は、21頁11行め〜22頁4行め「明治十一年七月三十日の昼ごろ」に「赤坂の紀国坂下」の「茶店」で「何やらを待っている様子」の「真っ昼間から一人で酒を飲んでいる若者」に出会う。彼は後に「六月ごろから」「伊藤(博文)参議をつけ狙っ」ていた「高知県士族山本寅吉」と判明する(23頁15行め)のだが、折から「かつかつたる蹄の音を鳴らして黒塗りの二頭立馬車が近付いて」来る。「若い男」が「中を覗くように注視」するのにつられて「雄吾も少し興味をもって馬車の方を見た」。

 車上には豊かな髯をたくわえた肥大な老人が背をうしろに悠然と凭せている――と思った/瞬間馬車は車輪の音を地にひびかせて、たちまち眼の前を走り去った。(22頁4〜5行め)


 22頁6〜7行め、「若い男」は「それを見送っ」て、また酒を飲み始め、雄吾にも「暑気払いに一杯いかがですか」という。

 頭を下げて雄吾はその杯を謝したが、そのついでに、今の馬車の高官はどなたですか、と/たずねた。すると、西郷参議です、という答えである。ああではあれが西郷従道だったか、/この西郷先生の実弟は、雄吾はいつも噂に聞いていたが見たのは初めてだったので、彼は/思わず馬車の走り去った方へなつかしそうに眼をやった。……(22頁8〜11行め)


 しかし、これはおかしい。西郷従道(1843〜1902)は明治11年(1878)に数えで三十六歳、7月30日なら満35歳である。流布している肖像写真は海軍大将の正装姿で、晩年、五十代と思われるが、貫禄十分ではあるが太い眉も髭も頭髪も黒い。尤も、人の老け方は一様ではなく、雄吾の継母のように「三十五歳の容色は争えず」という例もあれば、現代でもそうでない例はある。私なぞも大学生の頃は老けていると言われていたが、ここ十数年は若いと言われる。大学時代の私は頭でっかちに老成していたのが、今の私は精神的に成長していないのが顔面に現れているのやも知れぬ。それはともかく、三十代半ばで流石に「肥大な老人」はないだろう。私とていくら「若い」と言われても、実年齢に比して「若い」ので、流石に大学生とは見られない。
 他にも例を挙げるつもりだけれども、どうも、松本氏にはこのように、筋に大きく絡まない人物の年齢に無頓着なところがある。当時西郷従道が何歳だったのかを確かめずに、例の肖像写真の印象で「豊かな髯をたくわえた肥大な老人」と書いてしまったらしいのである。(以下続稿)