瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

常光徹『学校の怪談』(004)

 昨日の続き。

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 引用した部分の最後の方は少々分かりにくいが「その辺の週刊誌に出ている」というのは、「学者」が「口承文芸」として扱っている「怪談」の実態を指して、云っているのであろう。
 これは私も常光氏の本が出始めた頃に真っ先に感じた疑問であった。私の場合は2月21日付「七人坊主(38)」に書いたように、小学館の学習雑誌に、学校にまつわる「怪談」の投書が載っていたという記憶から、常光氏がこの手の話が従来からメディアに吸い上げられて流布されていることを考慮していないらしいこと、それだのに常光氏自身が一部メディアと同じように読者カードによる学者としては安易な方法で情報収集を行い、さらに「情報の発信者」にもなってもっと大掛かりに「口承文芸」の現場を混ぜっ返していることに、大いに疑問を持った。とにかく、乱暴なのである。それに、小学生の葉書がそのまま資料として使えるのか*1。いや、だからいつまで経っても児童書にしかなっていないのだろうけれども。
 そうなると、大学で「口承文芸」調査についての知識を身に付けた人物が教員となって、自分の勤務校について十分に把握した上で行き届いた調査を試みる、ということが、理想なのではないだろうか。教員は立場上、自分の教え子たちを対象にした調査結果をストレートな形で大っぴらには出来ないし(だから児童書にしたのか?)、事実無根にしろ校内での殺人事件や死亡事故について語る「学校の怪談」の調査報告など管理職が喜ぶとは思えないが、そこを説得するだけの理屈を捏ね上げるのが民俗学者の手腕なのではないか。商品を発掘するための調査ではないのである。次善の策としては、教育実習で母校に戻った大学生に、期間と対象は限られるが、ざっと調査してもらう。自身の在学時の記憶もある訳だから「民俗学ごっこ」よりはマシな調査にはなるだろう。――尤も、当時中学教員だった常光氏にそのような調査を主導する力はなかったろう。野村氏ならそのような調査の段取りは組み立てられたとは思うが。けれども、国立の研究機関の責任ある立場になって後も、常光氏はそうはしなかった。『学校の怪談』がブームになったのは、まぁ事故みたいなものだから「功を焦った」とは言わない。それに、もう「分からなくなっちゃ」ってるだろう。今や『学校の怪談』の影響抜きに「学校の怪談」の調査が出来ないのだけど、講談社KK文庫の『学校の怪談』とポプラ社の日本民話の会の『学校の怪談』その他、類書は枚挙に暇がない。そんなものに全て目を通して、影響関係まで頭に入れなきゃいけないとすると、もう「学校の怪談」のまともな調査は絶望的に不可能なような気がする。少し囓るくらいなら、出来なくはないが、そうすると実は有名な話を、知らずに「子供の想像力」云々と持ち上げることになりかねない。
 話が随分脇に逸れたが、それで小池氏は「怪談史研究家」になり、「その辺の週刊誌」や新聞を渉猟して、怪談をその時代との関連の中で捉えようという作業を始めた訳だったのである。――これは別に述べるが、私が初めて読んだ小池氏の調査報告は「学校の怪談」を取り上げたもので、私はこれに『学校の怪談』への痛烈な批判を感じて興奮したものだったが、この座談会を読むとそもそもが常光氏の『学校の怪談』への疑問と不満に発して「怪談史研究」を志していたのである。
 もう少し、座談会の続きを引いてみよう。72頁上段3〜10行め、

 『新耳袋』に関してはいかがですか?
小池 初めに出たときにはああいうものが/珍しかった。だからおもしろかったですよ/ね。八〇年代は怪談という言葉も死語にな/っていて、心霊体験とか幽霊体験とかそう/いう言い方がされていた。だから『学校の/怪談』の意義も言っておくと、怪談という/言葉を平成の世に普及させたことですね。


 そんなに意義のあることなのか。……あ、皮肉なのか
 次に石堂氏から「テレビ」での「怪奇探偵」としての活躍が持ち出され(72頁上段11〜13行め)、それに対して72頁上段14〜15行め「テレビに出ていることと本が売れるということは結びつかない」と応じ、「ホラーが好き」と言う人でも読むのは「殺人事件」など「下世話なこと」で(72頁上段15〜22行め)、72頁上段23行め「結局そっちに合わせざるを得ない(笑)」と纏めている。それが小池氏をして『怪奇探偵の実録事件ファイル』のような「地道な」調査報告から『幽霊物件案内』から『怪談 FINAL EDITION』へと連なる実話怪談の系統へとシフトさせて行ったらしい*2。いや、でも小池氏の著作を読んでいると大学時代から随分奇怪な体験をしているので、もともとそっちの方の人だったのかも知れないのだが。――もちろんその間にも前者の系列に属する『日本の幽霊事件』の連載があって今も継続しているのだけれども、私のような者からすると、やはりこの座談会での「きっちり記録しておけるものはしておかないと」という初心に返って、前者の系列の仕事を一通り片付けて置いて欲しい。まずは『戦後怪談史事典』とか*3。しかしそれでは商売にならないのか。

*1:学校の怪談』読者カードの報告と学習雑誌の投書と、資料として優劣があるのか? 民俗学者が音頭を取って集めたというだけで、小学生が書いた葉書ということは変わりない。民俗学者による前者よりも、むしろ報告の時期がはっきりしている学習雑誌掲出のものの方が、第三者からすると価値がありそうだ。この辺りについては別の記事で再考するつもり。

*2:但し私は実家ではチャンネル権を持っていなかったので、小池氏のTVでの怪奇探偵としての活躍ぶりは、全く知らない。

*3:年表形式ではとっくに発表済みなのだけれども。