瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鳥山喜一『黄河の水』(07)

・角川文庫155(7)
 5月23日付(6)の続き。
「結び」改訂版182〜184頁改版八版196〜198頁改版三十二版201〜203頁。
 この「結び」は昭和26年(1951)現在のもので、本書の中の一番新しい記述は「結び」の前の章「国旗のさしかえ」の最後の節「五星紅旗」(改訂版177頁14行め〜181頁改版八版191頁10行め〜195頁改版三十二版196頁3行め〜200頁)に、改訂版180頁14〜16行め、改版194頁16行め〜195頁2行め、改版三十二版199頁11〜13行め、

……。一九五七年九月の京漢線*1揚子江大鉄橋はソヴェート*2‐ロシアの技術による/こ【改版八版は以上194頁】とが多いけれども画期的なものといわれています。治水ではすでに淮河*3のそれに成功しました/が、一九五七年から着手した黄河上流*4三門峡*5のダム工事は、……

とあり、例によって「改訂版」の初版の時期が奥付に示されていないので、これをいつ書いたのかは明確でないが、「初版」の十五版が昭和33年(1958)12月発行、昭和34年(1959)2月に鳥山氏は死去しているので、とにかく最晩年にこの辺りの加筆がなされたことになる。どのような加筆であったかは、昭和26年(1951)当時の記述で終わっているはずの「初版」と比較しなければならない。「初版」は国会図書館のデジタル化資料となっているのだが、館内限定公開なので行く機会を得て、詳しく比較して見たいと思っている。
 「索引」は12頁で横組み、左右2列で中央に縦線(改訂版11.4cm、改版11.5cm)、1列に39行。1列の字数が改訂版より改版の方が少なくなっているため、若干全体の行数が増えている。改版八版と改版三十二版は、数字が違う他、1行に収まり切れなかった数字の処理に違いがあるため、1〜2頁、5頁右〜6頁左、9頁右〜12頁は同じ項目が並ぶが、3頁〜5頁左、6頁右〜9頁左にはズレがある。かつ、おかしなところも指摘される。
 改版八版6頁右30〜31行め*6は次のようになっている。

世祖(元,フビライ汗) 122〜125,/127,130


 ところが改版三十二版では、6頁右30行め、

世祖(元,フビライ汗)126〜128

となっている。いくら本文が組み直されているからと云っても、流石にこれはおかしい。そう思って本文を見るに、そもそも改版八版の世祖(フビライ)が見える箇所が122、124〜126、130頁で「索引」とは食い違っている。改版三十二版を見るに125〜128、130、133頁である。ちなみ改訂版十二版を見るに、6頁右31行めに、

世祖(元,フビライ汗)113〜116,120

とあるが、本文では112〜116、118、120〜121頁に見えているので、版によって採り方が違うようだし、基準がどうも良く分からない。細かく点検して行けば同様の例はいくつも挙げられると思う*7が、今はこれくらいにして、もう1点、索引に採られている人名の誤りを指摘して置く。すなわち、改訂版十二版の9頁左2行め「董舒……………………………………50」は本文50頁15行めを見るに「董仲舒*8」なのだが、改版八版の9頁左2行め「董舒…………………………………54」と誤りを踏襲し(本文54頁7行め)、改版三十二版8頁右36行め*9にて、漸く「董仲舒………………………………54」と訂正されている(本文54頁10行め)。(以下続稿)

*1:改訂版にはルビ「けいかん」あり。

*2:改版「ソビエト」。

*3:ルビ、改訂版「わいか」改版「わいが」。

*4:改版はここに「の」あり。

*5:ルビ「さんもんきよう」。

*6:6頁右は「」と「」の見出しを2行取りで示すため、37行。これは改訂版十二版・改版三十二版も同じ。

*7:改版八版の索引にある「127」頁は、本文を見るに地図である。最終段階できちんと点検しなかったと云わざるを得ない。

*8:ルビ「とうちゆうじよ」以下諸版同じ。

*9:8頁右は見出し「」「」「」が2行取りで36行めが一番下。