瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(22)

 一昨日からの続き。
・星野五彦『近代文学とその源流』(3)
 次に、星野氏による「蓮華温泉の怪話」の梗概を引用する。

 1 時は明治三〇年の秋、宿屋の戸を敲く者がいる。
 2 そこは白馬岳の麓の蓮華温泉で、名のみの宿である。
 3 路に迷ったので、一夜の宿をその紳士は請う。
 4 東京の者で鉄砲打ちに来て、糸魚川口から登ってきたという。
 5 主人は宿泊を諾し、山鳥を焼いていたので、それで食事にするか、風呂にするかを尋ねる。
 6 紳士は食事をのぞむ。
 7 男は今春妻をなくし八歳になる男児と二人であった。
 8 奥の部屋で子供が急に「怖い」といって泣き出し、父にしがみつく。
 9 紳士が怖いというので、山鳥の臭いに誘われて狐がきたのかと思い、子供と二人で外に出て/空砲を一発放す。
 10 飼い犬は依然と吠え、子供は激しく泣いている。
 11 紳士は泊めないでと子供に言われ、その旨伝えると、無茶をいわず泊めてくれという。
 12 紳士は諦めて出て行く。【219】
 13 小半時程後、巡査が来る。男を追っているという。
 14 やがて巡査が男を縛ってくる。きけば越中で女性を殺して手配中であったという。
 15 子供がいうに、男の背中に血みどろの若い女が怖い顔をしておんぶして、男が出て行く時に/フワフワと後から歩いていった。
 16 女は子供の顔をみてニタニタ笑っていたという。
 17 男は死刑台の人となったが、女が血みどろの姿で背に縋りついて放れず、冷たい手で今でも/首を締めつける。こんな苦しいおもいをするより死刑になった方が余程いいといったという。


 番号を打って箇条書きにしているので、この番号を用いて細かい比較に及ぶのかと思いきや、以下の比較ではこの番号は全く使用されていない。それならぶつ切りの箇条書きではなく、文章の形で要約した方が良かったのではないか。かつ、内容的にも幾つか問題がある。
 まず「木曾の旅人」の梗概について。3・4の「六歳の太吉」は事件のあった当時の年齢で、「重兵衛」が「T君」と会った「明治二四年」の年齢ではない。また、「木曽山中に」今も「暮している」ように書いているが、本文によると重兵衛は軽井沢の杣で、「この夏の初め」に故郷に戻ってくるまで「五年ばかり木曾の方」へ行って「山奥の杣小屋」に暮らしていた。従って、事件があった「ある年」は、何時だったかは明示されていないものの、まず明治20年代前半と押さえられる。尤も、「太吉」が現在「六歳」のように読める星野氏の梗概では、この「ある年」は結果的に「五年」のうちの近い方に収まってしまう訳だが、やはり「木曾」にいたのがこの「五年ばかり」であるということは梗概に押さえて置きたいところである。6は途中で主語が変わっている。17「警察の者」と18「探偵」が同一人物であることは文脈から分かるが、原文には「警察の探偵」とあった。原文通りに書けば良かったのではないか。
 「蓮華温泉の怪話」の梗概であるが、原文は2→1の順になっている。ぶつ切りの箇条書きであまり接続の良くない要約になっているのに、順序を乱す必要があったのだろうか。原文通り2→1→3の順序で良かろう。それから2で問題があるのは蓮華温泉の位置で、「白馬岳の麓」ではなく中腹である。原文を見るに「山ふところ」とあるから、これは誤読とすべきであろう。地図を見ればすぐに分かることである。尤も地理については2011年1月11日付(05)(及び2011年1月23日付(08))で注意したように、蓮華温泉新潟県であることも従来スルーされて来たのではあったが。5「主人」と7「男」そして8「父」が同一人物であることは文脈で分かるが、7「男」は5「主人」に統一して欲しい。13・14・15・17「男」のうち14・15は従来通り「紳士」とすべきではなかったか。
 さて、星野氏も「蓮華温泉の怪話」が先行するという前提で話を進めている。星野氏の参照した「蓮華温泉の怪話」は昭和17年(1942)版に拠っているが、この『信濃怪奇傳説集』は異版が多く、書名も微妙に変わっている(初版は『怪奇傳説 信州百物語』)ので、OPAC等のなかった当時にあって、この本の素性が十分追究出来ていないのは止むを得ないであろう。それはともかく、昭和17年(1942)の本を岡本綺堂が見る訳がないので、星野氏はそんなことはいっていない。では、何故「蓮華温泉の怪話」が先行すると断定したのかというと、それは、この話を「伝説」扱いしたからなのである。(以下続稿)