昨日の続き。
・星野五彦『近代文学とその源流』(2)
星野氏にはこの後にも「綺堂小考・古典志向のこと」(「解釈」30巻12号・昭和59年12月)という小論を発表している(未見*1)。それはともかく、本書に収録される岡本綺堂関連の論文2篇は276〜277頁「付記」に見えないので、「書下し」ということになる。従って、「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」を関連付ける説の提示は、平成11年(1999)の加門氏ではなく、昭和57年(1982)の星野氏の手柄とすべきであろう。……星野氏の指摘は殆ど知られずに埋もれ、一方の加門氏の方は東氏の「木曾の怪物」『飛騨の怪談』発掘に影響を及ぼしたにしても。
さて、「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」に触れた星野氏の論文は「綺堂と八雲」と題しているように、まず、214頁16〜17行め「一方がその出自をギリシア生まれのアイルランド人で、他方が日/本人である点を除くならば、幾つかの点で共通点を見出せる特異な存在であることに気がつく」として、両者の共通点を列挙する。1点めは215頁1〜2行め「創作において伝説や伝聞譚等を活かしている点」で「それは/当時にあっては、あまり人のやらなかったことであるという意味においてのことである」とする。215頁4行め「第二に、共に短編作家である点」そして215頁10行め「第三に、題名に共通性があるということ」を挙げる。これについて、11〜14行め
例えば、前者における『近代異妖篇』(大正15年10月)であり、後者における『怪談』(明治37年5月)と/いう具合にである。
作品にこの様な題名というものは、鏡花の『眉かくしの霊』(大正13年5月)等一部を除けば、その/こと自体特異な存在であるといえよう。
と説明する。最後、215頁15〜16行め「第四に、扱われている人物が名もない市井の者であり、それが又、素朴な形で日本的性向を醸していることである」とするのだが、言われてみると確かにそんな気もするが、そんな特筆すべきことなのかという疑念も抱いてしまう。特に「第三」点は、私には良く分からない。
この、複数のものの共通点を挙げる論法は(論文には良く見られるものだけれども)、私などには思い付きの域を出ないものが多いような気がして、尤も、星野氏もこの列挙を、215頁17行め「一寸思いつくままに挙げても」といって切り上げているのだけれども。
その上で具体例として、岡本綺堂「木曾の旅人」と、小泉八雲「雪女」を、それぞれ検討する。
星野氏の示す「木曾の旅人」の梗概を引用して置く。217頁11行め〜218頁、項目の2行めは3字下げ。
1 明治二四年のこと。軽井沢に逗留した時、宿屋に五〇近い大男が入ってきた。
2 その男にT君が好奇心から珍しい話はないかと尋ねるにこたえて語りはじめたのが、以下の/ことである。
3 男の名は重兵衛、五〇歳近くで六歳の太吉という子供があり、木曽山中に暮している。
4 ある年の九月末のこと。外は暮れはじめ誰かの唄声が流れるのみである。普段恐れを知らな/い太吉が盛んに「怖いよ」を連発する。
5 重兵衛が外に出ると優しげな二四、五歳の男が居た。【217】
6 招き入れ暖をとる。福島から飛騨へ抜けたいという。
7 太吉は隅で小さくなっている。
8 太吉に気付いた旅人は持合せの海苔巻きをやるが、子供は固く竦んだままである。
9 父の剣幕に恐れて出て来た太吉は普段と違って、礼もいわねばはしゃぎもしない。
10 猟師仲間の弥七が犬をつれて入ってくると、犬は普段と違って唸り声をあげ、耳をたて眼を/いからせている。
11 太吉は泣き出し犬は狂いたっている。
12 弥七は客がエテものではないかといって気をつけるように言いのこして帰って行く。
13 未知の者を泊めると警察がうるさいといって、旅人の宿泊をことわる。
14 太吉はほっとして、あの人は化物だという。
15 戸を閉めようとすると、別の男が入ってきて、出て行った男の方角をきく。
16 程なくピストルの音がし、怪我人がいるので手をかしてくれと先刻の男がいう。
17 客の男は諏訪で同伴の女性を惨殺した犯人で、後の男は警察の者であった。
18 ピストルの音は探偵に向けたものだが、当らないので、自分のノドを打って死んだその音で/あった。
19 犬が狂う様に吠え、子供が極端におびえたのは、男の後ろに何か幽霊のようなものがみえた/からなのであろう、と一同は聞きながら思うのであった。
12の「エテもの」に傍点「・」が打ってある。(以下続稿)
*1:【2019年9月8日追記】未だに見ないままである。なお「に」を見せ消ちにした。