瑣事加減

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「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(118)

・杉村顯『信州百物語』の評価(2)
 繰り返しになるが、――結論を言うと、本書は編集に時間を掛けていない、やや安易に編纂された伝説集であった。
 それが最近、やや名が知られるようになったのには、次の4つの要因が考えられる。
岡本綺堂「木曾の旅人」の改作「蓮華温泉の怪話」が収録されていたこと。
② 地方から《発見》された怪談作家・杉村顕道の著作であること。
③「信州百物語」或いは「信濃怪奇傳説集」と云う標題。
終戦前後に相当数増刷されたこと。異版が多いこと。

 やはり、①が一番大きいであろう。そして、ここに④が大きく絡んで来る。①にしても、改作したのは実は杉村氏ではなく、杉村氏の「蓮華温泉の怪話」は先行する伝説集、青木純二『山の傳説』の「晩秋の山の宿」をほぼそのまま取っただけなのである。しかし、ともに忘れられた存在となってしまった後に、まづ先に《発見》されたのが本書だった。『山の傳説』が、昭和5年(1930)の初刊後、増刷されなかったらしいのに対し、本書は昭和9年(1934)の初刊の部数は『山の傳説』よりも遥かに少なかったであろうが、9月3日付(108)に見たように、昭和17年(1942)から昭和22年(1947)に掛けて、少なくとも7回は増刷されている*1。この、最終的な部数の差が、なおしばらく『山の傳説』を埋もれたままにしたのに対し、本書が先に《発見》され、評価されてしまう時間的余裕を与えたものと思われる。
 最初に「木曾の旅人」との関連で本書の「蓮華温泉の怪話」に言及したのは国文学者の星野五彦である。昭和57年(1982)刊行の以文叢書20『近代文学とその源流―民話・民俗学との接点―に「書下し」で収録した「綺堂と八雲――伝説と創作を通して――」がそれだが、星野氏の専門は『万葉集』で、その「合間の息抜き」として書いたもので、余り緻密なものではない。ただ、小泉八雲の方も後に多くの研究者が取り上げることになるテーマを先取りしたもので、分割してそれぞれ論文としての結構を整え、さらに内容が分かるような題、例えば「綺堂「木曾の旅人」の原話――伝説と創作を通して――」などと題して、まづ雑誌に発表していれば、それなりの反響が――発表直後には得られないとしても、その後、検索システムの進化によって《発見》され易くなったと思われるのだが、残念ながらそうはならなかった*2
 平成9年(1997)には、柳田國男の序文があると云う理由で「柳田國男の本棚」と云うシリーズの1冊として『山の傳説』の覆刻版が刊行されるのだが、8月11日付(098)に一部を引いた、内容に否定的な序文の効果からか、まづ民俗学者からは相手にされず*3、高価な上に図書館にも殆ど入らなかったため、やはり脚光を浴びることはなかったのである。
 そしてその2年後、平成11年(1999)に、2011年1月8日付(004)に見たように、岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二『異妖の怪談集』の「解説」を担当した作家の加門七海が「先日、古書店で入手した本に、作品の元になったと思われる話が載っていた」として、やや詳しく「蓮華温泉の怪話」の粗筋を紹介しつつ「木曾の旅人」と比較し、そしてこの話が現在でも「登山家の中では実話として、今に語り継がれ」ていることを指摘したのであった。
 これが切っ掛けとなって、怪談文藝の編集者として近年盛んに活躍している東雅夫がこの流れに身を投ずることになったのが、その後の展開に大きな影響を及ぼす。後に共著も出すことになる2人だが、2011年1月22日付(007)に見たように、平成12年(2000)には文藝誌「鳩よ!」の対談にて「江戸っ子ホラー作家・岡本綺堂」について語り合った際に、早速「蓮華温泉の怪話」にも触れているのである。
 そして、岡本綺堂の養嗣子・岡本経一の不正確な記述から、存在が指摘されながら掲載誌が確認されて来なかった「木曾の怪物」(「木曾の旅人」の初出と思われて来たが、実は「木曾の旅人」のマクラに当たる部分の初出)と抱き合わせて、東氏が編集した岡本綺堂の選集に「付録」として収録したのが、2011年1月2日付(001)に見たように平成14年(2002)である。この時点での東氏の「蓮華温泉の怪話」の位置付けは「「木曽の旅人」の原話が実際に流布していたことを裏付ける貴重な資料」であった。
 しかしながら、こうして「蓮華温泉の怪話」が紹介されても、『信州百物語 信濃怪奇伝説集』を再刊する、と云う動きにはならなかった。
 加門氏は『異妖の怪談集』の「解説」に「『信州百物語信濃怪奇傅説集』の中でも、蓮華温泉の話は白眉であった」と、何となく誤魔化している(?)のだが、『信州百物語 信濃怪奇伝説集』と云う標題からして、他にも同じレベルの怪異談が収録されているだろう、と予想してしまう。いや、元来「白眉」とは、いづれも才子揃いの五人兄弟の中で最も優れた人物が白い眉だったことに由来しているのだから、この書き方だと他にもやや劣るレベルの怪異談が多く収録されていると思ってしまう。しかしながら、本書には「白眉」しかないのである。「蓮華温泉の怪話」のみが突出しているのである。いや、全く「怪奇」な要素のない話も少なくないのである。――所謂「ぶっちゃけ」て云ってしまうと、「蓮華温泉の怪話」以外は普通の伝説集だから、再刊と云うことにならなかったのであろう。‥‥期待して読んだらちょっとがっかりする。
 それが動く契機となったのが、②作者が判明したことである。しかもその作者の「怪談全集」編纂の最中であったため、直ちに「怪談全集」収録が決まり、再刊されることとなったのであった。(以下続稿)

*1:合せて1万部くらいになろうか。――戦時中の増刷には部数の記載があるであろうが、私はまだその奥付を見る機会を得ない。

*2:検索システムの進化で、雑誌発表論文の方が、単行本収録の決定稿よりも見付かり易くなってしまった。次第に単行本の細目もデータに加えられて改善して来ているが、10年前であったら細目の分からない単行本はヒットせず、以前は見付けにくかった雑誌発表論文の方が先にデータベース化されたために目立つようになってしまった。そして、雑誌発表論文は後に単行本に収録されていないか確認するべきなのに研究者でもそれをしない者が多く、研究史に混乱を来す結果を招いている。

*3:但し、何人か論文に本書を引く必要のあった人物がいたはずである。