2011年10月21日付(08)で参照したWikipedia「八丈方言関連の文献一覧」に、
66-80-07 :八丈島の七人の坊さま.東京都の民話,偕成社,p. (は157)
66-80-08 :まま子とさかな.東京都の民話,偕成社,p. (ま2)
66-80-09 :お豊虫.東京都の民話,偕成社,p. (追17)
と出ていることは、その当時、気付いていた。
そこで偕成社の『東京都の民話』を見たのだが、「まま子とさかな」と「お豊虫」は載っているが、「八丈島の七人の坊さま」は見当たらない。
・日本児童文学者協会 編『東京都の民話(県別ふるさとの民話18)』一九八〇年四月一刷・一九八四年三月五刷・定価950円・偕成社・227頁・A5判上製本*1
そのときは「八丈方言関連の文献一覧」が依拠した資料までは確認していなかったが、この『東京都の民話』を挙げている箇所は、磯部一洋 編集・発行『新島村・伊豆諸島及び小笠原諸島の文献・雑録リスト』 *2から八丈島関係の記事を抜き出した部分であった。今日、その原本を参照した。
・磯部一洋 編集『新島村・伊豆諸島及び小笠原諸島の文献・雑録リスト』2006年4月10日発行・磯部一洋・181頁・A4判並製本
独自の整理番号を打って配列しているが、八丈島に関しては63〜108頁「5.南部伊豆諸島(三宅島〜八丈島〜鳥島)」に三宅島等と一緒に集められている。整理番号の「66-」は、98〜104頁25行め「66(民俗・生活・回顧録)」に該当。2011年10月21日付(08)で触れた小寺氏の文章も、98頁26行めに、
66-26-01e 小寺融吉:八丈島の話.民族,2(6), 1131-1133. は161
と見える。これを1頁の「2.説明」を参照しつつ解読してみると「-26-」は発行年の西暦下2桁*3で、「-01」は同じ年に発表された文献を順にカウントした番号。分類番号最後の小文字アルファベットは磯部氏が当該文献を閲覧した機関を示すもので「e」は「筑波大学中央図書館」である。磯部氏(理学博士)は平成18年(2006)2月まで独立行政法人産業技術総合研究所に勤務していたが、平成13年(2001)4月発足の産業技術総合研究所に統合・再編される以前、地質調査所の所属であったようだ。すなわち産業技術総合研究所設立後の地質調査総合センターである。地質調査所は昭和54年(1979)11月に筑波研究学園都市に移転しているので、磯部氏は筑波大学中央図書館を利用している訳である。
最後の平仮名と数字は1頁「2.説明」の最後に以下のように説明されている。
7) 文献末尾にある平仮名と数字[例えば,(い140)]は,鈴木(1981,1982)で所持とされた文献・雑録の番号を示す./ただし鈴木氏非所持のそれらは括弧無し[例えば,い231]とした.
「は161」は「鈴木氏非所持」だけれども「鈴木(1981,1982)」に掲載されている、ということなのであろう。
この「鈴木(1981,1982)」が何という文献なのだかだが、109〜181頁27行め「6.伊豆諸島・小笠原諸島」の最後の項目、177頁27行め〜181頁27行め「89(編纂書・特集号)」の最後、181頁27行めが、
である*4ことをヒントに見当を付けて遡ってみるに、178頁15行めと20行めに、
89-81-05g 鈴木光志:神津島集誌Ⅲ 伊豆諸島の文献・雑録.53p.(追13)
89-82-03g 鈴木光志:神津島集誌Ⅳ 続・伊豆諸島の文献・雑録.53p.(追13)
と出ているのが、それであろう。ちなみに「g」は「新島村本村住民センター図書室」。
分類番号の確認のために随分遠回りになってしまったが、これを最初に引用した『東京都の民話』に当て嵌めると、いづれも末尾の平仮名と算用数字が( )で括られているところからして、鈴木氏が所持している文献なのであるが、分類番号の最後「アルファベット無し」は磯部氏が「未確認の文献」なのである。「p.」とのみあって頁数が入っていないのも、そのためである。この3話について磯部氏は、鈴木氏の目録から孫引きしただけなのだ。
それでは、鈴木氏の目録ではどうなっているのか気になるところだが、磯部氏の提示の仕方からして、鈴木氏の目録は50音順になっているようだ。すなわち鈴木氏の目録では分散して掲載されていた、偕成社版『東京都の民話』を出典とする話が、この磯部氏の目録では「5.南部伊豆諸島(三宅島〜八丈島〜鳥島)/66(民俗・生活・回顧録)」に、昭和55年(1980)刊行の同じ本、ということで集結した次第なのである。
恐らく最初に混乱が生じたと思われる鈴木氏の目録を見る機会を得ないが、近いうちに果たすことにして、ここでは本題である「七人坊主」に関する未確認資料「八丈島の七人の坊さま」について、述べて置くこととしたい。(以下続稿)