・東京伝説の会編『東京の伝説』(1)
7月27日付(44)の続き。
「八丈島の七人の坊さま」は偕成社版『東京都の民話』に載っていないのだけれども、何もないところからこんな題が出て来て目録に掲載されるとは思えないから、確かにこういう話を載せた、別の本が存在しているのだろうとの見当は付けたものの、そのままになっていた。
しかるに1年9ヶ月を経て、偶然次の本に出ていることに気付いた。
・東京伝説の会編『東京の伝説』昭和五十六年二月五日初版発行・学校納入定価一三〇〇円・日本標準・255頁・20×18cm上製本
これはシリーズで、昭和51年(1976)から昭和56年(1981)に全都道府県のものが刊行されたが、国会図書館に8点、都立図書館には4点しか所蔵されていない。東京の公立図書館では世田谷区立図書館の8点が最多である。大阪府立中央図書館国際児童文学館には流石に初版が全部揃っている。奥付に「学校納入定価」とあるように、市販ではなく学校図書館への納入を考えていたらしいから、公立図書館よりも小学校や中学校の図書室に揃いがあるのかも知れない。廃校になって図書室蔵書が処分される小中学校が少なくないと思われるが、このような公立図書館に所蔵されていないものは移管出来ないものだろうか。
それはともかく、七人坊主の話は、123〜198頁「社寺・神仏・坊さん・地蔵にまつわる話*1」の章のうち、141〜143頁に「八丈島の七人の坊さま*2/――八丈支庁八丈町――」と見え、末尾(143頁7行め)に「文・望月新三郎/絵・黒谷 太郎」とある。
従って、磯部氏の目録は、
66-81-05 :八丈島の七人の坊さま.東京の伝説,日本標準,141-143(は157)
と修正されるべきである*3。もちろん磯部氏の依拠した鈴木光志『神津島集誌Ⅲ』も修正しないといけないのだが。
内容について確認してみよう。
むかしのことです。
赤い衣を着た七人の坊さまが、なんのつみかは知りませんが、船に乗せられ八丈島に流され/てきたそうです。*4
七人の坊さまは、長いこと、飲まず食わずで、へとへとになっておりましたが、とにかく、島/におりると、食べるものをさがして、東山にのぼったそうです。*5
すると、浜にひとりのこっていた船頭が、船をかえしてにげだそうとしているのが見えました。*6
「なんと、あさましいことよ。わしらだけを島にのこして、いずれに生きのびようとするもの/ よ。」
ひとりの坊さまが、高らかに念仏をとなえて、手にした扇を海に向けてあおぎました。*7
すると、やれ、ふしぎなことに、はげしいい風が巻きおこって、たちまちのうちに海があれだ【141】し、船は大波をかぶりしずんでしまいました。*8
船のしずんだところは、いまも、海水が、ご/うごうと、うずまいているといいます。
流罪説を採っているようだ。それなのに「船頭」が「にげだそうとしている」というのも、それを「あさましいこと」だというのも、筋が通らない。漂着説と混同してしまっているというべきである。
船頭が逃げ出そうとして坊主に船を沈められる、という話は、2011年11月6日付(13)で見た矢口裕泰「〈資料/報告〉八丈島中之郷の伝承―昔話を中心に―」に見えている。この報告は後に、2011年11月7日付(14)で見たように「八丈島中之郷のはなし」と改題されて矢口裕康『語りの伝承(鉱脈叢書15)』に再録された。この単行本は昭和62年(1987)刊なので望月氏が参照したとすれば、昭和49年(1974)10月刊「日本民俗学」第九六号に発表された初出の方である。
それはともかく、矢口氏の報告は2011年11月18日付(17)に引いて置いたが「土佐の五郎」という船頭の名前が語られていた。そして、船が沈んだところに今も異変がある、というような語りは存しない。(以下続稿)