川端氏のおしゃべりはもう少々続くのですが、赤マントとは関係なくなってしまいますのでここでは触れません。
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さて、牧野氏は「週刊アダルト自身」編集部に「三度目の正直」として、これまでとは違う、具体的な「お尋ね」を投稿します。これは結局「二百字から四百字程度」という投稿規定を大幅に超過して「二千四百三十八字」もある、という理由で没にされてしまうのです。最初の辺り(24頁7行め〜25頁6行め)を抜いて見ましょう。
私は本欄に二度、赤マントに関する「お尋ね」をのせて戴いた者ですが、もう一度発言させてくださ/い。今度こそ三度目の正直です。昭和十四、五年当時の一つの小さな新聞記事についてのお願いです。
じつは先日来、広尾の都立中央図書館へ通い、昭和十三年秋以降の朝日新聞縮刷版二年分を調べまし/た。赤マントの記事は一つも見あたりませんでした。こんなデマのニュースなど、やはり時局柄のせな/かったのでしょう。と一応得心しつつ、一方で甚だ腑に落ちないでいるのです。当時、少年の私が、た/しかに新聞で読んだ覚えがあるので。
その記事が、すくなくも一つはあるはずです。それさえないのならば、ない記事をどうして私は読ん/だつもりになったのか、という問題が発生しますが、おそらく探し方が下手なために見つからないので/しょう。当時私の家でとっていたのはフクちゃんの漫画におぼえがあるから朝日新聞だったはずだけれ/ども、読売か日経もとっていたのかもしれず、とすると調査対象がどんどん拡がり、不馴れな者には更/に絶望的となります。そこで江湖にお伺いをたてる次第です。
その記事は、一人の男が流言蜚語をながしたカドにより警視庁に逮捕された、というニュースで、そ/の流言というのが赤マントの一件なのでした。二段組のその小記事が、紙面の下方に四角く収まってい/る様子さえ、漠とおぼえている感覚があります。その記事の中身を言うと、更に信じてもらえないかも/しれないが、男は年齢が三十歳ぐらいで、ナントカ勧業銀行の行員でした。この者は社会主義思想の持/主で、銃後の人心を動揺させ、厭戦的気分をひろめるために流言をはなった、という要旨でした。
そこだけスポットがあたったようにハッキリおぼえすぎているのが、われながら奇妙ですが、記憶は/再構成されるものだとしても、ずいぶん以前から長年、私の記憶のファイルにこのように保存されてい/るのです。じつを言えば、この元の記事を探しあてて、記憶とどれほどの異同があるかないかを確かめ/るのが、じつを言えば、今回の「お尋ね」の当初からの目的の一つでした。
これでまだ3分の1にしかならないのです。私が編集長だったとしても、これでは突き返さざるを得ないでしょう。
さて、「わたしの赤マント」発表当時はまだデータベースなどありませんし、原紙やマイクロフィルムを見るのでなければ、戦前から縮刷版を出していたのは「朝日新聞」だけですから、差当り「朝日新聞」を点検することになる訳です。
これも結論から言ってしまうと、「朝日新聞」には赤マントの記事はありません。尤も、細大漏らさず、目を皿のようにして見ていったら、赤マントとは書いていないけれども実は関連している記事が、或いは出ているのかも知れません。しかしながら、私の場合、取敢えず現代の文明の利器たる「聞蔵IIビジュアル」でそれらしい語をいろいろ入れて検索してみたのですが、やはりヒットしませんでした。牧野氏、いえ、恐らく作者の小沢氏が「昭和十三年秋」から「二年分」を見たのは、加太氏説に一応義理立てして、昭和15年(1940)初夏までカバーするためでしょう。
以下、この投稿の内容は、作者の小沢氏の実際の記憶を反映しているものとして、作中の「私」を牧野氏としてではなく、面倒なので小沢氏その人として記述することにします。
一方、上限を昭和13年(1938)秋としているのは、小沢氏にとって、赤マントにそれ以前の可能性はないからです。
問題の「一人の男が流言蜚語をながしたカドにより警視庁に逮捕された、というニュース」ですが、小沢氏の記憶通り、存在します。しかしながら、その流言というのは「赤マント」ではありません。小沢氏の記憶が混線した理由は、記事を見れば分かります。ですから「厭戦的気分」云々というのは、小沢氏の記憶が乱れるにつれて附加され「再構成され」て行った《幻想》なのです。
私が小沢氏の愛読者であれば、小沢氏の美しい《幻想》を破らないために、口を噤んでいたくなったかも知れません。断言しますが、もし小沢氏が記事を見付けていたら「わたしの赤マント」はこんな小説にはならなかったでしょう。書かれなかったかも知れません。――けれども私は赤マントについて、実際を知りたいと思っています。そのためには、確実な資料を示すことが第一ですけれども、私はそれだけではいけないと思っています。これまで重視されてきた不確実な資料について、そのどこがいけないのかを明示して、そこからこれ以上好い加減な辻褄合せを始める人が増殖するのを防ぐことも、大切だと思っています。不確実だから提示するな、というのではありません。不確実でも記憶は語っていただきたい。けれども、それを無批判に信じ込んだり更に尾鰭を付けたりして混乱に拍車を掛ける手合いが少なくないから、困るのです。
と同時に「わたしの赤マント」のうち、創作でない部分というか、原型はどんなふうだったか、御教示願いたいとも考えている次第です、厚かましい考えながら。
或いは他に、実は小沢氏の記憶通りの記事が存するのかも知れません。その可能性も否定し切れませんが、やはり次回引用する記事に間違いないと、私は見当を付けています。(以下続稿)
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やっと全体を読み直して文のおかしくなっているところに手を入れ、「わたしの赤マント」からの引用に振仮名を補いました。