一昨日からの続きで、岩佐東一郎「赤いマント」について。
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本当なら岩佐氏の体験したことを引用するだけでなく、岩佐氏の感慨を――そちらの方にこそ岩佐氏の見識が示されている訳ですから、見て置くべきなのですけれども、それでは全文を引用することになってしまいますので、ここでは触れません。
そんな次第で、昨日の引用に続く3段落、初出誌で10行(162頁上段7〜16行め)単行本で7行(15頁10行目〜16頁4行め)は省略します。ここでは小学校の対応について述べた初出誌162頁17〜20行め、単行本16頁5〜7行めを見て置きましょう。
僕の、小學校へ行つてる*1娘などは、先生から「赤マント」の/流言であることを注意されて、反|對に、*2今まで知らなかつた/恐怖を起して、日が暮れると、廊下を歩くのもいやだ*3と云つ/て、おびへ*4|てゐるには弱つて了つた。
以下は省略しますが、寺田寅彦の随筆「流言蜚語」の冒頭の3段落の引用*5などがあります。
さて、小学校での先生からの注意が、却って児童にこのデマを周知させる逆効果を生んでいる訳ですが、岩佐氏は末尾近く、初出誌162頁下段18〜20行め、単行本17頁10〜11行めに「‥‥。かかる/愚劣な流言を新聞やラヂオや警察力に依つてまで、鎭靜させ/られねばな|らなかつたことこそ、‥‥」と書いているのです。むしろ、警察やマスコミや学校が真剣に対応しようとしたことで却って、小学生の娘さんの反応と同じように、――本当なのではないか、という気持ちを知らなかった人、或いは気にしていなかった人にまで起こさせることになったので、実際には「鎮静させられ」た訳ではなかったのです。
それだのに、こんな記述になっている、その原因ですが、岩佐氏が権力に遠慮して当局の対応がさも効果があったかのように曲筆したのではなくて、その執筆時期にあります。すなわち、単行本『くりくり坊主』には入っていないのですが、初出誌の末尾、162頁下段21行めには「(二月廿三日記)」とあるのです。すなわち、岩佐氏はこの随筆を、昭和14年(1939)2月23日(木曜日)の晩、夕刊「都新聞」を読んでAKのラジオニュースがあったまさにその頃に、書いているのです。それが「三田文学」に掲載されるまでに1ヶ月余経過してしまったのですけれども、折角なら錠剤わかもとの広告の分量だけでも、執筆後の展開、すなわち小沢氏の気にしていた「デマの末路」について、略述して置いてくれたら、と思ったことでした。
それはともかく、この岩佐氏の随筆は、10月25日付(4)で見た加太氏の奇妙な回想、11月2日付(12)及び11月3日付(13)で見た小沢氏の(裏事情が)美化された回想とは異なり、まさに時期を同じくして書かれた、新聞記事とは違って生き生きとした具体的な証言として、今後「赤マント」事件について必ずや参照すべき文献の第一として位置付けられるものでしょう。全文の復刻を希望したいところです。(以下続稿)
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ちなみに、岩佐氏は当時、東京市品川區大井庚塚町(現・品川区大井七丁目)在住*6で、学区について調べていないのですが、娘さんの小学校は公立であればいづれその辺りです。私立だとすると、いよいよ見当が付きませんが。
ついでですから、引用しなかった箇所の初出誌と単行本の異同を列挙して置きましょう。
・初出誌161上8「‥‥、一瞬、‥‥」→単行本14頁2行め「‥‥、一瞬、‥‥」。
・初出誌161上9「/であつた切支丹‥‥」→単行本14頁2行め「‥‥であつた。切支丹‥‥」。
・初出誌161上9「‥‥におびへた江戸の匂ひがした」行末詰まる→単行本14頁2行め「/におびえた江戸の匂ひがした。」。
・初出誌162上7「‥‥、飜譯ものユーモア小説で、‥‥」→単行本15頁10行め「‥‥、飜譯のユーモア小説で、‥‥」。
・初出誌162上22「‥‥。それを信じて、次から次へ流言蜚語/」→単行本16頁8〜9行め「‥‥。それを信じて/次から次へ流言蜚語‥‥」。
・初出誌162下1〜2「‥‥恥かしいこ/とではないか。」→単行本16頁9行め「‥‥恥しいことではないか。」行末詰まる*7。
・初出誌162下6「‥‥燃焼が、次へ次へと‥‥」→単行本16頁11〜12行め「‥‥燃焼が/次へ次へと‥‥」。
・初出誌162下14「/上から見て幾分か‥‥」→単行本17頁5行め「‥‥上から見て、いくぶんか‥‥」。
・初出誌162下18「‥‥なからう。かかる/」→単行本17頁10行め「‥‥なからう、かかる‥‥」。
・初出誌162下21「‥‥があつた。(二月廿三日記)」→単行本17頁11行め「‥‥があつた」。
*1:単行本「行つてゐる」。
*2:単行本この読点なし。
*3:単行本「歩くのも恐いわ」。
*4:単行本「おびえ」。
*5:初出誌162頁下段3〜14行め、引用の前、1行分空白。単行本16頁10行め〜17頁6行め、引用の前後に1行分ずつ空白。
*6:【2016年3月27日追記】岩佐氏の住所とこの(やや後の)時期の岩佐氏の周辺については、藤田加奈子のブログ「戸板康二ノート」の2016-03-21「岩佐東一郎主宰の「交書会」と戸板康二にまつわるあれこれ(1)交書会のはじまった昭和20年5月と串田孫一著『日記』のこと。」を参照。
*7:単行本46頁13行めに「/恥かしい氣さへしたのである。」とあるところから見て、ここで「か」を抜かしたのは、行数を増やさないための措置と思われる。