瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(31)

 11月16日付(26)にて、小沢氏が昭和63年(1988)9月刊『犯罪百話 昭和篇』の準備段階で、大宅壮一「「赤マント」社会学」によって「赤マント事件」の時期をほぼ把握していたであろうことを指摘し、

とにかく平成元年(1989)の『東京百景』刊行時には判明していたのです。但しわざわざ書き加えて「小説」の結構を崩すこともあるまいと判断したのでしょう。

として置いたのですが、11月19日付(29)に附されたすずしろ氏のコメントを見るに、作品の「結構」は崩していないのですが、かなり書き換えていることが分かりました。そこで慌てて、やはり初出誌「文藝」を見に行く暇はないので『文学1983』を借りて来ました。
日本文芸家協会編『文学1983』昭和五十八年四月十八日第一刷発行・定価1900円・講談社・317頁・四六判上製本
 この選集には、前年昭和57年(1982)の文芸雑誌・綜合雑誌の1月号から12月号に掲載された単発作品から選択された15篇が収録されています。編集委員は「大庭みな子/奥野健男河野多恵子篠田一士高橋英夫」で、前付鄯〜xi頁「まえがき」は河野氏の執筆です。10月27日付(06)で見たように、河野氏は「朝日新聞」の「文芸時評」で本作を褒めていましたから、対象作品489篇の中から選に入ったのは河野氏の推しによるものでしょう。巻末293〜317頁「収録作品 時評集」に「朝日新聞、読売新聞、サンケイ新聞毎日新聞東京新聞共同通信」の「文芸時評」からの抜き書きが作品ごとに示されているのですが、「わたしの赤マント」については311頁下段5行め〜312頁上段17行めに河野氏の「文芸時評」の該当箇所*1が全て抜き出されてあります。
 ここに収録されている本文(158〜169頁)は恐らく初出誌と同じ(若干の修正はあるかも知れませんが)だろうと思いますが、この当初の形では、アカい行員の新聞記事を昭和15年(1940)のこととして書いているのです。すなわち、小沢氏は「「赤マント」社会学」を見るまでは「赤マント事件」の時期を把握出来ておらず、作中の川端氏の電話及び加太こうじ『紙芝居昭和史』に従って(川端氏の電話が全くの虚構でなければ、ですが)昭和15年(1940)初めと想定していたようです。それが「「赤マント」社会学」によって加太氏の記述は奇怪な記憶違いとしか言いようがないことが判明したため、急遽(?)昭和14年(1939)前後に書き換えたのです。――そう思って見ると確かに、初めは昭和15年(1940)のこととして書いたらしき痕跡も、認められるのです。しかし飽くまでも、そう思って見れば、というまでで、不自然を全く感じさせない程に『東京百景』では修正されているのです。

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 この辺りのことについては、初出誌とも校合した上で異同を挙げようと思いますが、時間と手間も掛かります(所蔵先に出向く時間と突き合わせる時間)ので、先にここまでの見当を示して置いた次第です*2
 それでは「「赤マント」社會學」の「」章の後半を見て置きましょう。(本欄422)頁下段17行め〜(本欄423)頁中段3行めまで。ちくま文庫『犯罪百話 昭和篇』345頁10行め〜346頁6行め。

 ところで、この「赤マント」の「赤」とい/ふ言葉はどこから出たか。まづ赤は直ちに血/を|聯想させる不氣味な色だからであらう。ま/た一説によると、昔天然痘が流行した場合に/は、|道傍に赤飯を供へ、それに赤い紙でつく/【本欄422下段】つた御幣を立てる迷信があつた、たま/\最/近帝都|に天然痘が出たので、そこから「赤」/といふ聯想が生れたのだともいふ。
 しかしこの流言は、最初主として小學生の/間にひろがつたのであるが、今頃の子供の頭/に|かかる迷信が甦つてきたとは思へない。や/はり血に對する恐怖が主であつたにちがひな/い。|中には教壇から大眞面目にこの流言を傳/へ、だから皆さんは夜遊びをしてはいけな/い、など|と戒めた先生もあつたやうである*3
 それから間もなくこの流言は、中學生や女/學生の間をも風靡したが、この層は「赤マン/|【文庫345頁】ト」の「赤」から共産黨を聯想し、何か共産/黨と關係のある人物の仕業であるかの如く思/ひ|こんだものが多かつたらしい。これは日本/の防共教育がこの層に怖ろしく徹底してゐる/一つ|の表徴とも見られる。
 更にこの流言は大人の間にまでひろがつて/行つたのであるが、それは主としてカフエ/ー、|バー、喫茶店等の女給の口から傳へら/れ、女事務員たちの午飯の時間を賑はした。/【本欄423上段】しかしさ|すがに成年男子の間では、これを興/味的話題にする程度以上には出なかつたやう/である。


 ここでもやはり教師が子供の夜遊びを戒めるために利用したのが流布の原因の1つに数え上げられています。共産党云々はこれまでに挙げた資料にはありませんでした。「カフエー、バー、喫茶店等の女給」については、11月5日付(15)に引いた岩佐氏の体験にこれまでたびたび言及して来ましたが、ここで後年の回想になりますが、別人の例を挙げて置きたいと思います。(以下続稿)

*1:末尾に(朝日新聞夕刊・7月26日)とあり。

*2:2014年1月23日追記】その後、2014年1月14日付(84)から2014年1月23日付(93)までの10回、初出と同じと思われる『文学1983』と改稿の『東京百景』の比較検討を試みました。

*3:ちくま文庫は句点を打つ。初出は句点なし。