瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(30)

 小沢信男「わたしの赤マント」について調べるきっかけになったブログ記事「怪人赤マント追記」の筆者すずしろ氏より「わたしの赤マント」の本文異同についてのコメントをいただきました*1国会図書館では目下、初出の「文藝」誌をデジタル化作業中で閲覧出来なくなっているのですが、そもそも当該号の辺りは所蔵していないようなのです。そこで、別の施設で閲覧しようと思いつつ、そのままになっていました。いづれ「文藝」と『東京百景』及びそれ以外の諸本の本文の比較を挙げようと思っております。

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 昨日一昨日見た「東京だより」はちくま文庫『犯罪百話 昭和篇』には採られていません。気付いていて採らなかったのか、それとも気付いていなかったのか、いづれにせよ大宅氏の文の導入として、また当時の反応を具体的に窺わせる記録として、貴重なものと思います。『犯罪百話 昭和篇』は残念ながら「長期品切れ」となっているのですが「東京だより」を大宅氏の文の前に追補して、再刊にならないものでしょうか。
 それでは回り道をしましたが、大宅壮一(1900.9.13〜1970.11.22)の「「赤マント」社會學」を見て置きましょう。全文を引く訳には行かないので、岩佐氏の「赤いマント」と同様に、赤マントがどういうものなのか説明した箇所を、抜き出すこととします。
 頁付(本欄422)〜(本欄427)、3段組で1段21行、1行20字。本欄422頁右上に2段抜きで「「赤マント」社會學/活字ヂャーナリズムへの抗議/大宅壯一」とあります。章番号は2行取り5字下げのゴシック体漢数字。参考までに『犯罪百話 昭和篇』の改行位置を「|」で示しておきました。この再録では新字現代仮名遣いになっております。冒頭から見て行くこととします。

     
 最近「赤マント」といふ言葉が、非常な恐/怖と興味をもつて、人々の口から口へと傳へ/ら|れた。その分布範圍は明らかでないが、東/京全市をはじめ、その接續町村から近縣にま/で及|んだのではないかと思はれる。これはま/つたく何の根據もない流言で、およそ馬鹿ば/かしい|ナンセンスにすぎなかつたのである/が、一時は帝都の全市民がまるで呪文にでも/かかつたや|うに、この流言に迷はされたので/ある。【本欄422上段】
 もちろんこの「赤マント事件」そのものは/愚にもつかぬことではあるが、それがナンセ/ン|スであればあるほど、たとへ一時でもさう/いふものが世間を騒がしたといふことに興味/があ|り、そこに今の世の中の性格が端的に現/れてゐるのではないかと思ふ。
「赤マント」といつても、その内容は種々雜/多で、百人百説である。だが、要するに赤マ/ン|【文庫344頁】トを着た男が、近頃市中を徘徊して、通行/人に傷をつけるから、氣をつけぬと危いとい/ふの|である。「赤マント」といつても、赤いの/は裏だから氣がつかない、或は赤い肌着を身/【本欄422中段】につ|けてゐるともいふが、その男は佝僂だと/いふことに、大體意見は一致してゐるやうで/ある。
 またその男が危害を加へようとする相手/は、少年少女だともいひ、處女だともいひ、/或は|或る年齡の女に限られてゐるともいひ、/その點はまち/\である。無垢の血を求めて/ゐると|か、若い生膽をねらつてゐるとかいふ/ことが、その犯行の動機になつてゐる。それ/によつて|彼の業病天然痘ともいひ癩ともいふ)を治さうとする信仰に基づいてゐるとい/はれる。
 傴僂男、血、生膽、業病――これで膳立は/一通り揃ふ。そして「赤マント」といふ言葉/が、|このグロテスクな内容全體を表徴してゐ/るのである。


 事件がほぼ終息した時点でまとめていますので、生々しさはありませんが異説を多く紹介しているところが貴重です。中でも「「赤マント」といっても、赤いのは裏だから気がつかない」というのは、いづれ10月26日付(05)で見た、楡藍子のようなクラスのオピニオンリーダーが口にした思い付きがそのまま残ったのでしょう。11月5日付(15)にて見ましたが昭和14年2月22日の晩に岩佐東一郎が怯える料理店の給仕たちに突っ込んでいたように、佝僂男でなくても赤マントで歩いている人なんかいないのですから、もしそれでも「赤マント」が徘徊しているに違いないのだとすれば、実は彼が着ているのは裏地が赤の「赤マント」だから目立たないのだ、そして襲い掛かるとき初めて、目の覚めるような裏地の赤が……という理屈くらい、利発な女学生なら思い付きそうなものです。「年齢」の奇妙な限定も、やはり子供の思い付きそうなことです。それから赤マントは何故人を襲うのか、ですが、1つはやはり「癩」ということになっています。それから「天然痘」説ですが、これもまだ紹介していない新聞記事にあります。この頃、天然痘の緩慢な流行がしばしば記事になっていました。
 してみると、『楡家の人びと』の楡藍子の独創(?)は「老婆」だとしたところにあった*2ので、他の要素は大体裏付けが取れるのです。本当にこんなことをモデルの女性が言ったのか、それとも北氏が如何にもありそうなこととして創作したのか、それは分かりませんが、言ったのだとしてもさほど広まらずに消えてしまった異説ということになる訳で、実際このような尾鰭は数限りなくあったろうと思うのです。(以下続稿)

*1:すずしろ氏のブログ「スナーク森」2013/11/09付「『わたしの赤マント』について」に返信コメントを付けました。但し「文藝」誌については曖昧な記憶のまま書いてしまいました。事実はここで書いたように所蔵していないのです。

*2:この「老婆」としたことの意味については本田和子に説がありますが、今は触れる余裕がないので追って文献を一通り紹介する際に触れることにします。