瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(57)

 昨日、12月15日付(55)に引いた、当時澁谷區在住の加藤氏の云う赤マントには畸形のイメージがないと指摘しましたが、11月26日付(36)で見た当時目黒區在住の粟津氏の赤マントにもセムシ男のようなイメージはまるでありません。10月24日付(03)に引いた、当時淀橋區在住の北川氏の回想の「怪人物」は畸形のイメージを隠してこのような表現にしているのでしょうか。――昭和14年(1939)2月の新聞報道は大抵「セムシ男の吸血鬼」なのでしたが、当時小学生であった人たちの回想を読むに、そうした点が抜け落ちているものが少なくないようです。
 最初からなかったのでしょうか。それとも初めはあったのに、いつしか欠落してしまったものなのでしょうか。
 次に引く、種村季弘(1933.3.21〜2004.8.29)の回想が、その手掛かりになるかも知れません。

 子供の頃、一度も見たことがなにのに興味津々で、いつも身近にいるように感じられた人物が二人/いた。一人は怪人赤マント、もう一人が巣鴨病院から当時はもう松沢病院に移っていた蘆原将軍であ/る。
 赤マントの正体ははっきりしない。集団不安の生んだファントマであろうから、われら小学生の間/ではジゴマや怪人二十面相黄金バットと混淆したイメージで語られていたように思う。子供をさら/って血を吸うのだとも、いやあれは悪いことはしないのだともいう。それでも、近くの川越街道沿い/の重林寺境内に出たなどという噂が立つと、夕暮時には背中の方から何物かがそくそくと迫ってくる/ような執拗な不安に追われて、トットと家に走り帰った。面白いのは、赤マントが好んで女学校の便/所に出没するという説であった。女学生がズロースを下して壺にまたがると、下の方から変な声がす/る。赤い紙がいいかい、それとも青い紙がいいかい? そこで、可愛らしいお尻を丸出しにした女学/生が、赤い紙がいいワと答えると赤い紙、青い紙がいいと答えると青い紙を握った手が、金隠しのな/かからにゅーっと伸びてお尻の始末を手伝ってくれるという寸法である。【9頁】
 蘆原将軍の方は実在した人物であるだけに細部がもうすこし鮮明であった。‥‥


 種村季弘アナクロニズムの巻頭「蘆原将軍考 序にかえて」の冒頭、諸版ありますが私は「種村季弘のラビリントス7」の『アナクロニズム』(昭和五十四年九月一日印刷・昭和五十四年九月十日発行・定価1600円・青土社・268頁)に拠りました。目次には「蘆原将軍考」とあって、7頁が「蘆原将軍考 序にかえて」の扉、9頁から本文で19頁まで。赤マントは話のマクラで、以下蘆原将軍の話になります。268頁「アナクロニズム』初出誌一覧」には「蘆原将軍考  初版単行本のために書き下す」また「『アナクロニズム』初版単行本は、昭和48年5月に青土社より刊行。」とあります。なお、この「種村季弘のラビリントス」版では巻末に「再説・蘆原将軍考(あとがきにかえて)」が増補されていて、これも目次はこうなっていますが253頁(頁付なし)扉では「再説・蘆原将軍考 または「兄貴、一寸待って呉れ」ということ(あとがきにかえて)」となっております。254頁から本文で267頁まで、最後、267頁15行めに「一九七九年八月七日    種村季弘」とあります。
 さて、私はこの記述を、中相作サイト「名張人外境」の「江戸川乱歩データベース」のアンソロジー「乱歩百物語」の第二十六話として再録されている、八本正幸(1958.7.8生)「怪人二十面相の正体もしくは明智小五郎最後の事件付・少年探偵シリーズ関連年譜」(初出「『新青年』趣味」5号・平成9年4月)によって知りました。八本氏は「赤マントの正体は‥‥」から「‥‥という按配である。」までの段落を引いて「(種村季弘葦原将軍考」)」と添えておりますが、「種村季弘のラビリントス」版では「寸法」となっているのが「按配」なのは異なる版に拠ったことに起因する異同でしょうから、引用の場合、やはり書名まで書き抜いて置くべきだと思うのです。
 それはともかく、八本氏はこれに続けて、次のようなコメントを附しています。

 あまりに面白いので、思わず引用が長くなってしまったが、口裂け女あたりからはじまって、近年の人面犬、人面魚、トイレの花子さんにいたる都市伝説にも通じる赤マントの在り方は、怖さを通り越して滑稽味を帯びるあたりの消息が二十面相のそれと相通じるものがある。(赤マントの噂がひろがったのは、昭和十一年の阿部定事件の直後。同じ年に「怪人二十面相」が連載されていたのだから、出来すぎといえば出来すぎだが)人々はその正体を知ることよりも、ふくらむデマゴギーに自らも参加することによって、ゲームを楽しんでいるのだから、たとえ実際にモデルになった人物なり事件なりが特定されてしまえば、たちどころに興ざめしてしまうのは仕方あるまい。‥‥


 八本氏の文の主題はもちろん「怪人二十面相」なので、赤マントにはここに述べたような理由で言及しているだけなのですが、注意されるのはその流行時期を「昭和十一年の阿部定事件の直後」としていることです。阿部定事件は、日付まで確認しますと昭和11年(1936)の5月18日に発生したのでしたが、こんな風に阿部定事件と種村氏の回想を並べてしまっては、種村氏の本の題と同じく「アナクロニズム」になってしまいましょう。もう察している人もいるかも知れませんが、次回、その点について確認して置きましょう。(以下続稿)