瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(181)

・『田辺聖子全集』別巻1(二〇〇六年八月十日第一刷発行・集英社・口絵+521頁・A5判上製本

 田辺聖子(1928.3.27~2019.6.6)は小学6年生のときに赤マントに接しているはずだと思って、2014年2月4日付(104)に「大阪附近の赤マント」の見出しで11回ほど続けて見た頃に、この『全集』別巻1も覗いて見たし、回想も手に取って見た。
 7~161頁「年譜 田辺聖子で読む昭和史」の、20頁26行め~21頁「昭和 14 年 1939 11」条の、21頁下段15~19行め「  ★ | この年」項の中に「赤マント」が挙がっている(18行め)。
 しかし7頁(頁付なし)扉の裏、8頁(頁付なし)上段、菅 聡子「【作成にあたって】」を見るに、9~17行め、

 この年譜は、作家としての田辺聖子の歩みに加えて、田辺/がどのように社会をとらえたかをひとつの軸として、昭和か/ら平成の時代をともに見つめ直してみよう、という試みのも/とに構成されています。
 上段では、田辺の作家としての日々を、田辺の文章や発言/を引用しながらたどり、その個人史を再構成しました。
 下段では、世界や日本の出来事を記し、人々がどのように/生きてきたのか、何を体験し、何を楽しみ、何を悲しんだの/か、追体験できるようにしました。

とあって、下段にしかないと云うのは、どうやら田辺氏の「個人史」に所属しない事柄らしいのである。
楽天少女 通ります 私の履歴書
・四六判上製本(一九九八年四月十日第一刷・定価1500円・日本経済新聞社・268頁)

・ハルキ文庫
 文庫版は未見。268頁の次(裏は白紙でその次が奥付)に、明朝体太字で小さく中央下寄せ「(日本経済新聞一九九七年五月一日~三十一日連載「私の履歴書」に大幅加筆)」とある。
『田辺写真館が見た ”昭和” 』
・四六判上製本(二〇〇五年五月十五日第一刷発行・定価1857円・文藝春秋・229頁)
田辺写真館が見た”昭和”

田辺写真館が見た”昭和”

・文春文庫
田辺写真館が見た“昭和” (文春文庫)

田辺写真館が見た“昭和” (文春文庫)

 文庫版は未見。229頁の次、奥付の前の頁に明朝体で小さく中央下寄せ「初出 月刊『文藝春秋』二〇〇三年一月~二〇〇四年十月号」とある。
 確かにどちらにも、赤マントに関する記述はないようである。ありそうなところしか見ていないのだけれども。
朝の連続テレビ「芋たこなんきん 2006年10月2日~2007年3月31日放映(全151回)
芋たこなんきん―連続テレビ小説 (NHKドラマ・ガイド)

芋たこなんきん―連続テレビ小説 (NHKドラマ・ガイド)

NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」

NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」

NHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』上巻

NHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』上巻

NHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』下巻

NHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』下巻

 毎回見られる環境になかったが、飛び飛びでも面白がって見た記憶がある。その当時『田辺写真館が見た ”昭和” 』を見て、田辺氏の両親の見た目がかなり美化されていることに驚いた記憶もある。しかし、赤マントが作中の話題になっていたような記憶はない。まぁ全部見た訳ではないからノベライズ本で確認する必要がありそうだが。――いや、今度、「ゲゲゲの女房」の次にでも夕方16時20分からの再放送枠で流してくれないだろうか。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 従って、田辺氏は赤マントについて特に何も書いていないのだろう、と思っていたのだが、確かに田辺氏は赤マント流言を体験していて、実はそれを、初期の小説に書いていたのであった。
 なお『全集』年譜作成者の菅聡子(1962.8~2011.5.14)とは、もちろん面識などないのであるが、シンポジウムの司会をしているのを見て、1度だけなのだけれどもその印象が、今でも妙に残っているのである。(以下続稿)