瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(62)

 それでは、中島京子昭和16年(1941)、日米開戦の前に赤マントを位置させた根拠と思しき小説を確認して行くことにしましょう。
・中島公子『My Lost Childhood』2004.4.10第一刷発行・定価1600円・近代文芸社・86頁・上製本
 大きさは18.7×11.5cm。
 カバー背表紙に「My Lost Childhood 中島 公子 現代日本の短編作家シリーズ19」下部に「近代文芸社」とあります。地色は表紙と同じで標題は横転、標題とシリーズ名は白抜き。漢字と数字はゴシック体。
 このシリーズは全て同一装幀のようです。本書の書影は表示されないので、仮に別の本を挙げて置きましょう。

 本書のカバー表紙は、ここに示したカバー表紙を本書の標題・著者名に置き換えたものである訳です。
 カバー裏表紙は左下部のみ表紙と同じ色で、左上部と中・右は白地で左上にバーコードとISBNコード等、中央から下・右寄りに横組みで、

著者略歴
1932年東京生まれ。
早稲田大学大学院博士課程修了(フランス文学)
元明治大学教授。
著書『文芸人間学の試み――日本近代文学考――』
  『お話文芸思潮――ヨーロッパ文化の源泉――』
訳書 H.ルソー    『キリスト教思想』
        (6点省略)
                    ほか多数

とあります。明治大学名誉教授なのですが「元‥‥教授」としています。
 1頁(頁付なし)扉、3頁(頁付なし)「目次」、収録されるのは4篇で、うち3篇は「目次」に明朝体太字で「《My Lost Childhoodより」とあります。最後の1篇は時代小説です。5頁から本文、1頁16行、1行42字。それぞれの作品の冒頭、題が5字下げで、右に2行分、左に3行分空白。5〜19頁「坂と赤マント」、21〜38頁「乳の実」、39〜53頁「回復期」、55〜83頁「弁天の仇討」。
 以下「目次」では1字下げにしてあった(本文の見出しは6字下げ)84〜86頁「あ と が き」は「二〇〇四年三月」付、87頁(頁付なし)「初出一覧」、その裏が奥付。この2つを参照するに、発表誌は「一九七七年創刊の『竪/琴』という女性のみの文芸同人誌」で「途切れることなく今に続いて」「二〇〇二年には五〇号」に達したというのだから年2回刊行です。「《My Lost Childhood》と題した最初の三篇」は「坂と赤マント」が「一九七九年三月  『竪琴』 四号」、「乳の実(旧題「銀杏」)」が「一九八〇年三月  『 同 』 六号」、「回復期」が「一九八一年九月  『 同 』 九号」、中島氏の40代後半の「幼年時代の思い出をもとに構成した」連作で「一見平和な日常にしのびよる擾乱の気配、そのなかで地震を察知する小動物のように、何にともなくおびえていた幼い者たちの不安が少しでも伝えられれば、と思う」とコメントしています。

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 苗字と年齢差から或いは察している人もいるかも知れませんが、中島京子(1964生)は、中島公子(1932.11.24生)の次女なのです。従って、直接赤マントについて聞いた可能性は十分ありますし、まさに『小さいおうち』と同時代を扱っている母親の小説も、しっかり参考にしているのだろうと思うのです。但し、私はまだ娘の方の小説を読み通していないので、どこがどう影響を及ぼしているという指摘は出来ませんし、この『My Lost Childhood』について、草稿を書いたのは今月10日で、一寸記憶も薄れております。(以下続稿)