瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(80)

松谷みよ子『現代民話考』の赤マント(2)
 昨日の続き。引用の要領も昨日に同じ。
 続いて7例め・8例め(単行本211頁10〜212頁3行め・文庫版253頁9行め〜254頁4行め)と、色の指定はないのですが「マント」の話が並びますので、念のため引いて置きます。

大阪府大阪市*1区松ヶ枝小学校。昭和十年頃の話。その頃には珍しく鉄筋で地下室|が下駄箱に/なっていました。そこはうす暗くて、マントを着た男の人が出るといわ|れ気味悪くて一人で靴/をはきかえに行くことができなかったそうです。戦災で焼け|たそうですが。
  話者・江角治子。回答者・久井ひろこ広島県在住)
高知県吾川郡吾北村上八川連行*2。私の父は怪しいものをてんで*3信じない人だったが、|晩年私に/一度こんな事を言ったことがある。本川の高藪という学校を建設中のこと。|昭和二十五、六年/の夏休みに先生が一人宿直をしていたが映画に行くというので父|がかわって泊まった。夜中に、/妙な音がする。コツコツという廊下を歩く音で、出|【253頁】て見たら職員室の前にマントを着た男が立/っている。その男は職員室の中に入り消|えた。次の日、先生に聞くと、近くの墓から出るとい/う。どこか県外の学校へ行っ|ていて死んだ人だろうという。
  文・高橋光加。出典・「土佐の民話」二十号(土佐民話の会)


 久井ひろ子(1927〜1983)の簡単な経歴は2011年9月19日付「『現代の民話・おばけシリーズ』(01)」に紹介して置きました。『現代の民話・おばけシリーズ』には久井氏の話が3話収録されています。
 大阪市北区松ヶ枝町の松ヶ枝小学校は文中にもあるように昭和20年(1945)6月7日の第3回大阪大空襲・6月15日の第4回大阪大空襲に遭い、その年度末に廃校になり堀川国民学校に統合されました。跡地には現在大阪市扇町総合高等学校が建っています*4
 高知県吾川郡吾北村は平成16年(2004)10月1日に合併により吾川郡いの町となっています。
 しかし、これらの話は「学校の神や妖怪たち」に含めるべき話でしょうか。8例めは「先生」の説明に従うなら幽霊であって、マントを目印にしている赤マントの類ではなく、たまたまマント姿で現れるだけのようです。従って「十七、魂や幽霊のおとずれ」の「十一 宿直の怪」辺りに含めるべきものではないでしょうか。
 7例めは確かにマントの怪しい人です。但し「出る」というだけで、ただの変質者かも知れません。
 ちなみに、この「赤マント・青いドレスの女など」の見出しには9つの話が分類されていますが、1例めは「ほうちょうをもったおじさん」、4例めは東京都東久留米市立下里中学校の「青いドレスを着て、火を持った女の人」、6例めは大阪市立森之宮小学校の「赤ズキン(魔物の意味)」、最後の9例め(単行本212頁4〜6行め・文庫版254頁5〜7行め)は「場所不明」で「ピエロ」です。――要するに独立した位置を与えられずに「その他大勢」として纏められているのです。それだけ赤マントの話が集まらなかったのかというと、実はそうではなくて、ややこしいことに、別のところにも、便所に出没する赤マントが載っているのです。(以下続稿)

*1:ルビ、単行本「きた」。

*2:ルビ「あがわ・ごほくそんかみやかわ」。

*3:「てんで」に傍点「ヽ」。

*4:2019年7月11日追記大阪市立扇町総合高等学校HP「学校概要>沿革」に、大阪市扇町商業高等学校が「昭和24年10月|大阪市立大学理工学部設立に伴い北区松ヶ枝小学校校舎(現在地)に移転」とある。