・朝里樹『日本現代怪異事典』(5)
さて、昨日まで検討したように、若干私のフォローしていない説も提示されていましたが、それはともかくも、朝里氏は赤マント流言の実態には全く迫れていません。ですから私は特に本書を取り上げる意味を感じず、取り上げたとしても何だか嫌な気分になるだけになりそうで、案の定、嫌な気分になっております。こんなことを書くと、お前は昭和14年(1939)と云う正解を見付けてから再検討したから、北川幸比古や三原幸久の錯誤に気付いたのだ、と云われそうですが、――怪異談について、私のように幾つかの点に集中して徹底的にやるタイプと、朝里氏のようなとにかく網羅しようと云う(しかし材料選定の範囲及びその偏りが気になるのですが)タイプの違いと云う以上に、朝里氏がこれまでの、怪談やら妖怪やらを網羅的に扱った事典類に比して、発生時期について、妙に意欲的であるのが気になるのです。有り体に云うと、発生の問題を扱うのであれば、私のように疑り深くやらないと駄目だと思っているので、‥‥どうも引っ掛かるのです。
これまで、当ブログでは幾つかの怪異談を扱って来ましたが、私は怪異談は好きで面白がっているけれども2016年1月14日付「子不語怪力亂神(1)」に述べたような対し方です。おかしなところを見付けては突っ込んでいますが、気持ちとしては松本清張の「西郷札」や「装飾評伝」のおかしなところに突っ込んでいたのと変わりありません。いえ、怪異談は心の空隙に入り込んでしまう妙なもので、そもそもが空隙だらけなものですから、突っ込み甲斐があって、かつ、心霊を真面目に信じているような人の書いたものでも、あまりきちんと記憶の裏付けをしていません。きちんとそこまでやって書いてくれたら安心(?)なのですけれども、あやふやな記憶を変に合理化して書いてしまう。空隙は多々あるのに根が生真面目なので、余計にそう云うことを信じ易いのかも知れません。ですから何だかおかしなところが必ずある。そう云う、おかしなところがある話を突っ込んで行くと、芋蔓式に突っ込み処に行き当たる、と云う按配です。
それはともかくとして、私が特に気になったのは、11月26日付(213)に取り上げた『魔女の伝言板』の三原幸久の回想、及び『現代民話考7』の北川幸比古の回想に続いて取り上げられている、もう1例についてです。26頁上段17行め~中段3行め、
‥‥。また同書には/一九三五年頃に大阪府大阪市北区松ヶ枝小/学校の地下室にマントを着た男が現れると/いう噂が語られていたという話も載るが、【上】これについてはマントの色に言及されてい/ないため、その色が赤であったかは定かで/はない。
これは、この程度の事典項目に必要な事例でしょうか。
『現代民話考7』の赤マントは単独で立項されておらず、ちくま文庫版では29~269頁「怪談」の部の236頁10行め~265頁「二十 学校の妖怪や神たち」の7項め、251頁14行め~254頁7行め「赤マント・青いドレスの女など」と云う、妖怪とも変質者ともつかない、その他大勢を寄せ集めた中に投げ込まれているのですが、この話も同じ括りになっている訳です。
私は、赤マントについては網羅主義でやっていますから、この話も2014年1月10日付(80)に「念のため」引用して、「確かにマントの怪しい人」だけれども「ただの変質者かも知れません」との見解を示して置きました。
すなわち、元より松谷氏(或いは実際の作業を担当していたと思しき納所とい子)も積極的に赤マント流言などとの関連を認めてここに振り分けたと云う訳ではないでしょう。寄せられた情報を、とにかくどこかに分類しないでは収まらないので、赤マント流言と同じ項目に並べて示しただけだったと思われます。もし、赤マント流言との関連を認めるとして、それは話者である江角治子の生年、そして松ヶ枝小学校在学時期がもっと正確に分かって初めて、何とか云い様もあるので、これだけではやはり、赤マント流言の4年程前に、ただのマント姿の変質者が校内に侵入していたのが目撃され、それが噂になった、と云うだけでしかないように思われるのです。
その後、黒田清『そやけど大阪』を読んで、7月15日付(203)に纏めたように、松ヶ枝小学校にも赤マント流言が及んでいたらしいことは(回想ですが)傍証を得ました。江角氏が、例えば田辺聖子と同学年で(学校は違いますが)昭和14年度まで松ヶ枝小学校に在学していたのなら赤マント流言の記憶の断片の可能性もあります。しかしやはり江角氏の話が色を伴っていないことが気になります。いえ、昭和10年(1935)頃と云う時期に間違いがないとすれば、大阪の赤マント流言の原因は、大阪府特高課等の《公式見解》では紙芝居と云うことになっていますから、この松ヶ枝小学校の変質者は赤マント流言とは全く関係ない、と云うことになるはずです*1。
とにかく、これだけの断片、もしくは無関係な噂を、長くもない事典項目に思わせぶりに「定かではない」等と云う勿体ぶった言い回しとともに書き入れる必要は、全くなかった、と私には思われるのです。この辺りの文言や項目・事例の選定は、商業出版の『事典』としてもっと編集がしっかりチェックするべきだったのではないでしょうか。(以下続稿)
*1:だから私は体験者の生年と在学時期は、判断材料として最低限必要だと考えるのです。