・井上雅彦「宵の外套」(10)
昨日の続きで①初出『京都宵』②再録『四角い魔術師』③再々録『夜会』の異同を確認しつつ内容を見て置こう。要領は8月8日付(250)に同じ。
昨日引いた、地の文になっている友人の説明の続き。
【F】赤マントとの関連(二)(①475頁3行め~476頁1行め②248頁上19~下19行め③137頁下10行め~138頁上16行め)
この〈赤マント〉は、東京から大阪に伝播した\と言|われているが、逆に大阪から東京に伝わ/った\という説|もある。遡って昭和十年には、大阪で\〈地下室の黒マ|ント〉という地縛霊めいた/噂があ\り、それが東京で赤|【248上】マントになったともいう。
――黒マントとは、黒い外套だな……。
さらに類似する都市伝説に〈赤マント 青マン\ト〉|なるものがある。【137】
これは、トイレに現れ、
「赤いマントと青いマント、どちらがいい」と聞\く。
赤いマントと答えると、ナイフで刺され、赤く\染まっ|て死ぬ。
青いマントと答えると、血を吸われ、全身青く\なっ|て死ぬ。
――血を吸われる……?
はじめて、吸血の話となった。
舞台がトイレというのは尾籠な話だが、より淫\靡な|印象もある。調べた媒体によると、京都/の中\学のトイ|レにも出たようだ。
――京都の中学……!
殺人も吸血も、トイレのなかで行われる。【475】
――こちらのほうが、吸血鬼なんかより、恐怖\の受|けはよさそうだな……。
「東京から大阪に」と云う説は前回引いた加太こうじ『紙芝居昭和史』に見えている。
「逆に大阪から東京に」と云う説は、中村希明『怪談の心理学』に説くところであった。
中村氏の説については、2013年10月25日付(004)の最後の方に「‥‥中村氏説の検討に際して触れることになりましょうから、今は触れないで置きます。」と述べて、その後、2014年1月3日付(073)から2014年1月8日付(078)に掛けて、中村氏が昭和14年(1939)に京城(ソウル)の小学校で聞いた赤マントの話を中心に、中村氏の赤マントに関する説を検討したのだが、大阪については触れないまま、2016年1月29日付「赤い半纏(09)」2016年1月30日付「赤い半纏(10)」2016年1月31日付「赤い半纏(11)」に「赤いはんてん」について検討してそのままになっていた。
「昭和十年」の〈地下室の黒マント〉は、2014年1月10日付(080)に取り上げた、松谷みよ子『現代民話考』に久井ひろこが報告した、大阪の松ヶ枝小学校の話だろう。――2014年2月23日付(123)にながたみかこ『日本の妖怪&都市伝説事典』を取り上げた際に「中断している中村希明説の検討を再開するに当たって取り上げるつもりです」と断っているので、やはり取り上げるつもりではあったのが、赤マントの検討自体を一時中断した折に忘れてしまい、もともとは中村氏の説であったことを忘れて昨年取り上げたところだった。
中村氏の「大阪から東京」説は、結論を先に言うと、――無理だと云わざるを得ない。詳しくは本作の検討を終えてから取り上げることとしよう。
さて、類話として〈赤マント 青マント〉は、2014年1月11日付(081)に取り上げた、『現代民話考』に平山和彦が報告した話の呼び掛けの声と、2014年1月12日付(082)取り上げた、同じく『現代民話考』に塩原恒子が報告した、赤マント流言よりも前のことらしい話に語られる結末を組み合わせたような按配である。
そして「京都の中学」の話は、2014年2月2日付(102)に見た日本の現代伝説『魔女の伝言板』に三原幸久「III トイレ」の6つめの例話「赤いマント」として掲載されていることに触れた。この機会にを引用して見よう。119頁11行め~120頁2行め、
戦前からある京都のK中学校にまつわる話。ある校舎の四番目のトイレには決して入ってはい/けないと言われました。それには深い訳があったのです。そこに入るとどこからか「マントはい/らんかい、赤いマントはいらんかい」と聞こえてくるのです。そして誰もが驚いてトイレを出て/行ったのですが、ある人が一度返事をしてやろうと、その四番目のトイレに入りました。すると/また「赤いマントはいらんかい」と聞こえてきて、その人が「はい、ください」と答えるや否や、/天井からナイフが落ち、彼女の背中に刺さったのでした。血は瞬く間に彼女の背中をまるでマン【119】トのように覆ったのでした。
[出所]話者は、大阪の女子短期大学生。一九八七年九月に三原が聞く。
学校の古さを強調しているが、女子生徒が主人公(?)だし新制中学校だろう。「K中学校」とぼかされると「戦前からある」と云われても、どのように「戦前」と繋がるのか、背景の探りようがない。本作ではわざと「京都の中学」と書くことで、8月8日付(250)に登場させた旧制中学――烏丸今出川の私学付属の中学を連想させ、京都にも古くから便所に出没していたかのような印象を与えている。しかし、上記引用に見られる通り、吸血鬼ではなく駄洒落系(?)の赤いマントなのである。(以下続稿)