瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(83)

日本民話の会 学校の怪談編集委員会学校の怪談大事典』1996年4月第1刷発行・2004年3月第8刷発行・定価1,400円・ポプラ社・223頁・A5判上製本*1
 書影だけは2011年5月18日付「明治期の学校の怪談(4)」に貼って置きました。絵 前嶋昭人。
 1頁(頁付なし)扉、2〜4頁(頁付なし)米屋陽一「はじめに」、5頁(頁付なし)「この事典のつくりと使い方」、6〜9頁(頁付なし)「もくじ」、10頁(頁付なし)に日本民話の会・学校の怪談編集委員会・前嶋昭人の紹介。
 11頁(頁付なし)「1.こわい話」の扉、12〜13頁見開きから頁付があって、1頁6行、1行20字で大きく導入文。14頁から本文で2段組。「1.こわい話」は16項目あって44頁まで、50音順に並んでいます。
 「あかいちゃんちゃんこ赤いちゃんちゃんこ】」の項がその最初(14〜16頁下段6行め)で、末尾に(常光)とあります。常光徹の執筆です。解説文は丸ゴシック体で、随所に引用される怪談は桃色地に教科書体で区別されています。この項ではまず14頁上段3行め〜下段1行めに「赤いちゃんちゃんこ着せましょか」と尋ねて来る話(話の1つ1つに題名・整理番号は附されていない)、14頁下段17行め〜15頁下段2行め(15頁上段はイラスト)に「赤い紙・青い紙」を引用、そして最後にもう1話引きます。題名はやはり示されていませんが、212〜219頁(頁付なし)「さくいん」に、212頁上段5〜8行め、

あかいかみ・あおいかみ 14 15 16 111 150
あかいちゃんちゃんこ 14-16 150
あかいはんてん 14 78 110
あかいマント・あおいマント 16 112 151

とこの項目の話が並んでいます。その3話めとその前後を抜いて置きましょう。16頁上段7行め〜下段5行め、

 ところで「赤いちゃんちゃんこ」や「赤い紙・青い紙」/のような、色にまつわる怪談は、いつごろからはなされ/ているのでしょうか。はっきりしたことはわからないの/ですが、すでに一九三八年ごろ長野県の小学校でこんな/話がはやっていました。*2

★お便所にはいろうとすると、戸口にマントを着た/男の人がたっていて、*3
「赤いマントがほしいか 青いマントがほしいか」
ときく。
「赤いマントがほしい」
とこたえると、ナイフでさされ、まっ赤な血そまっ/て死ぬ。*4
「青いマントがほしい」
とこたえると、からだじゅうの血をすわれて、まっ/【上段】青になって死ぬという。

 今から五十年以上も前の話ですが、あやしい声の正体/がマントを着た男の人という点以外、現在の話とよく似/ています。赤と青のマントがのちに「赤い紙・青い紙」/や「赤いちゃんちゃんこ」に変化したのかもしれません。*5


 これは、太字で異同を示したように若干書き換えられていますが、前回見た松谷みよ子『現代民話考』に載る塩原恒子の報告でしょう。1つだけ疑問があるのは「一九三八年ごろ」となっていることです。塩原氏の自己申告では「五年生の頃」すなわち昭和10年(1935)頃であったはずで、昭和12年(1937)3月には卒業しているのです。或いは昭和13年(1938)には引き続き高等小学校に在籍していたのかも知れませんが、しかし、それならそうと断ってありそうなものです。それとも、常光氏は塩原氏から直接「昭和13年頃」だったという根拠を得て、話の時期を修正したのでしょうか。それなら文庫版『現代民話考』の刊行まで7年余あった訳ですから、松谷氏に報告して時期の訂正を求めるべきだったのではないでしょうか。松谷氏は日本民話の会の中心メンバーですが、222頁(頁付なし)「執筆者紹介」には出ておらずこの事典には関与していないようです。しかしカバー表紙折返しに宣伝文を書いていますので、全く関わりがない訳ではありません。――実に下らないことながら、この数年のズレが赤マントの発生と伝播について、大きな意味を持って来るかも知れないのです。いえ、それ程の意味のないことであったとしても、何の説明もなしに書き換えられると、どう処理して良いか、大いに困惑させられます。(以下続稿)

*1:5月6日追記】第7刷(発行 2003年1月)を見た。比較はしていないが以下摘記した箇所については同じ。【2019年8月27日追記】軽装版(発行 2009年7月 第1刷)を見た。カバー表紙の最上部左にごく太いゴシック体の金文字で「軽装版」とある。A5判並製本

*2:ルビ「ながのけん」。

*3:ルビ「べんじよ」。

*4:ルビ「か」。

*5:ルビ「いじよう/いがい・げんざい//へんか」。