瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(87)

小沢信男「わたしの赤マント」校異(4)
 一昨日からの続きで、川端氏からの電話の終盤。
・【59】165下4「無くなったから、」→21頁18「なくなったから、」539頁15
・【60】165下6「おたく等*1は」→21頁19「おたくらは」539頁16
【61】165下9〜11「赤マントは。……これ、わりと確度が高いと思いま/すよ。自分の知らないことだから却って気になって、推理/が働くんだ。」→21頁21「赤マントは。……」540頁1
・【62】165下13「出ませんでしたな。」→22頁1「でませんでしたな。」540頁2
・【63】165下20〜21「そんな風/だから、」→22頁6「そんな|ふうだから、」540頁7〜8
・【64】166上1「卒業の時には、」→22頁9「卒業のときには、」540頁10
・【65】166上9〜10「武漢三鎮も、広東もとっくに陥ちて、長沙は*2」→22頁14「武漢三鎮も、広東も陥としはしたが、長沙は*3540頁15
【66】16下20〜22「赤マントも、出てくるのが/もう一年遅れたら、配給切符が必要なスフの国防色マント/になるところでしたな。」→22頁20〜21「赤マントも、で/てくるのがもう一、二年遅れたら、配給切符が必要なスフの国防|色マントになるところでしたな。」541頁5〜6
・【67】166下5〜6「お互/い、」→23頁5「おたがい、」541頁10
・【68】166下7〜8「戻っちゃ/う」→23頁6「もどっちゃう」541頁11
・【69】166下18「密かな感慨」→23頁12「ひそかな感慨」542頁1
・【70】166下20「此処に舫ったっきりに、例えば*4」→23頁13〜14「ここに舫ったっきりに、|たとえ/ば*5542頁2〜3
・【71】167上2「ちえっ、」→23頁16「ちぇっ、」542頁6
・【72】167上6〜7「較べ/ちゃ」→23頁19「くらべちゃ」542頁8
・【73】167上10「取り返しのつかない」→23頁21「取りかえしのつかない」542頁10
・【74】167上12〜13「われら/の肝臓の」→24頁2「われわれの肝臓の」542頁12
 川端氏は初出では【61】のようにかなり自信を持って自説を述べていたのですが、実は外れていたので『東京百景』では削除されています。しかし、こんな思い込みくらい普通にあることなのですから、わざわざ削除しなくても良かったように思うのです。それとも川端氏には誰かモデルがいて、そのモデルに遠慮して謬説を強調するような文言を削ったのでしょうか。【66】は昭和15年度、中学に入学したところ夏の制服がスフだったことを踏まえているのですが、当初の川端氏説では、あずき婆ァも小学六年生=昭和14年度で、あずき婆ァより後に赤マント、これが昭和14年の冬(年末)、そして昭和15年3月に卒業、4月に中学入学なので「一年遅れたら」だったのですが、実は赤マントは小学五年生=昭和13年度の2月だったので、まずあずき婆ァの時期を【50】で見たように「五、六年生の頃」と幅を持たせ、ここも「一、二年遅れたら」と同様にしている訳です。(以下続稿)

*1:ルビ「ら」。

*2:ルビ「カントン・お」。

*3:ルビ「カントン・お」。

*4:ルビ「もや」。

*5:ルビ「もや」。