瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(316)

小沢昭一の赤マント(1)
 さて、しばらく小沢昭一の著述を眺めているのだけれども、それは、簡単ではあるが、赤マント流言に触れるところがあるからであった。――まづ、『わた史発掘 戦争を知っている子供たちについて見て置こう。
 『わた史発掘』の諸本は3月25日付「小沢昭一『わた史発掘』(1)」に示した。章立ては3月26日付「小沢昭一『わた史発掘』(2)」に示した。なお3月27日付「小沢昭一『わた史発掘』(3)」も参照されたい。
 その「その十 芸能的環境篇」の2節め、①144頁13行め~148頁16行め②155頁15行め~160頁2行め③163~167頁「ハーモニカ・ブルース」の後半、当時の社会情勢と、小沢氏の実感を対比して述べた箇所に、①147頁16行め~148頁16行め、改行位置「/」②159頁3行め~160頁2行め、改行位置「|」③166頁16行め~167頁18行め、改行位置「\」、

‥‥、|私にとっ/て平和だった生活とは、私がハーモニカを覚えて吹いていた時代――小学\校五、六年*1ま|での頃のくら/しだったからでもある。
 実は、「平和」はだいぶ以前から消えはじめ、私の小学校二年――昭和十二年に日中戦争\【③166】がは|じま/っているのだが、子供にとってサァ大変と気がついたのは、太平洋戦争に突入(昭\和十六年、|小学校/【①147】六年)*2してからであった。それまでは、二・二六事件も、メーデー禁止も、\国民精神総動|員も、人民/戦線検挙も、映画法実施シナリオ検閲も、新協劇団解散命令も、ダ\ンスホール閉鎖も|知る筈がなかっ/た。
 それよりも、オリンピックの遊佐、葉室頑張れや、南京陥落の提燈*3行列や、神風号の飛行\士|飯沼さ/んに塚越さんや、花も嵐も踏み越えての『愛染かつら』や、青年団ブラスバンドの\『愛国|行進曲』/や、辛子のうまさをはじめて知ったホットドッグや、〽海に生き海に死ぬ吾\等は海洋少|年団や、〽パ/ーマネントをかけ過ぎてェ……や、毎月一日興亜奉公日の神社清掃\奉仕や、ハイケ|ンスのセレナーデ/ではじまる「前線へ送る夕」や、〽トントントンカラリと\隣組の常会、防空演|習や、〽紀元は二千六/百年の式典や、高勢実乗のアノネオッサンワシャ\カナワンヨや、赤マント|の流言の恐怖や……などな/ど、子供にとってはけっこう刺戟の多い、\浮き立つ毎日であった。
 食糧も統制時代に入ったが、ゆるやかな変化で子供はまだ深刻ではなかった。戦争につい\ての|情報/は、ただ「皇軍の勝利」ばかりで危機感は一向になく、「非常時」はむしろ、じっ\としては|いられな/い珍しい出来事の続くお祭りさわぎのように思われた。
 軍需景気で、蒲田の街もにぎやかになる一方で、人がふえアパートが乱立し、毎週火木土\の夜|【②159】に並/ぶ夜店には人があふれ、その人出の波を縫うようにかいくぐるように、一軒一軒熱\心にタン|カバイを/聞いて歩く夜店きちがいの私でもあった。【③167】


 少々長くなったが、当時の流行物の1つとして挙げてある訳である。(以下続稿)

*1:③読点半角。

*2:②③は括弧の箇所やや小さい。③は括弧半角。

*3:ルビ②「ちようちん」③「ちょうちん」。