瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(86)

小沢信男「わたしの赤マント」校異(3)
 昨日の続きで、同級生川端氏からの電話の中盤。字句の修正以上のものは、一昨日まで遡って番号を赤にしました。
・【38】163上3「出たのが」→18頁15「でたのが」
・【39】163上3「ひっくり返る」→18頁15「ひっくりかえる」
・【40】163上8「思い出したかい。」→18頁18「思いだしたかい。」
・【41】163上10「境いの敷居」→18頁19「境の敷居」
・【42】163上12「はみ出して。」→18頁21「はみだして。」
・【43】163上13「行く先き先きで」→18頁21「行く先々で」
・【44】163下7「行っちゃうから」→19頁10「いっちゃうから」
・【45】163下9〜10「来て/ましたか。」→19頁11「きてましたか。」
・【46】163下16「行くのに、」→19頁15「ゆくのに、」
・【47】163下16「行ったんだ。」→19頁15「いったんだ。」
・【48】163下21「塾に行ってた」→19頁17〜18「塾にいっ/てた」
・【49】164下7〜8「また何/時かゆっくり」→20頁15「またいつかゆっくり」、」538頁6
【50】164下22〜23「でも、推定で言うならあすき婆ァは、やはり六年生の頃/だろうね。いま思い出したけれど、」→21頁2「あすき婆ァは、やはり五、六年生の頃だろうね。いま思いだしたけれど、」538頁16
・【51】165上5「してたからね、」→21頁5「してたから、」539頁2
・【52】165上6「口も利かなかったんだ。」→21頁5〜6「口もきかな/かったんだ。」539頁3
・【53】165上7「怒鳴り返して」→21頁6「怒鳴りかえして」539頁4
・【54】165上8「……へえ、そこまで見ちゃったの、」→21頁7「……そこまで見ちゃったの、」539頁4
・【55】165上10「ドスケベエだったな。」→21頁8「ドスケベエだな。」539頁5
・【56】165上18〜19「続い/て」→21頁13「つづいて、」539頁10
・【57】165上21「出てくる」→21頁15「でてくる」539頁12
【58】165上22「昭和十四年冬のご登場だな。」→21頁15「昭和十三年でなければ十四年冬のご登場だな。」539頁12
 【49】までは漢字を平仮名に開いたり、送り仮名を整理したりといった異同でしたが、【50】から『東京百景』刊行直前に、大宅壮一「「赤マント」社会学」により赤マントが実は小学五年生、昭和13年度の、昭和14年(1939)3月以前と判明したことに拠る修正になります。この辺りから『コレクション 戦争×文学』の位置を(投稿当初は忘れていましたが)添えて置きました。2013年11月1日付(11)で見たように、川端氏は赤マントの時期を小学六年生の昭和14年度、昭和15年(1940)ではなく昭和14年(1939)の年末だと考えていたのに、わざわざ【58】「昭和十三年でなければ」との断りを入れています。なくても良いのではないでしょうか。それから、あずき婆ァが先行する川端氏説では、あずき婆ァが【50】小学「六年生の頃」では実際には赤マントが先行してしまいますから、ここも「五、六年生の頃」と改めている訳です。(以下続稿)