瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(120)

 kensyouhan「唐沢俊一検証blog」の2010-03-26「深草ならしょうしょうの違い。」については2013年12月20日付(60)にて取り上げました。唐沢氏が赤マントを阿部定事件と関連付けていることに批判が殺到(?)していましたが、そのとき私は、2013年12月17日付(57)に引いた八本正幸「怪人二十面相の正体」を見たのかも知れない、との考えを示して置きました。或いは、同じように赤マントについての記述に、阿部定事件を持ち出した文献があったかも知れない、とも。
 これにつき、その後も気を付けて俗書(?)まで漁ってみたところ、阿部定事件に触れた文献をもう1つ見出しました。唐沢氏は、八本氏の論考に拠ったのではなくて、こちらから採ったのではないか、とも思うのです。
・世界博学倶楽部『都市伝説王』(PHP文庫)2007年10月17日第1版第1刷・定価514円・PHP研究所・215頁

都市伝説王 (PHP文庫)

都市伝説王 (PHP文庫)

 本書のカバー(背表紙を除く)と本体の18頁まで、そして「参考文献」から最後の目録まではAmazon詳細ページのなか見!検索にて閲覧出来ます*1
 頁付があるのは214頁まで。但し215頁「column 4」は「目次」に頁が入っているので勘定に入れました。最後の見開き「参考文献」には頁付がなく「目次」にも頁が入っていないので勘定しませんでした。
 13〜81頁「第一章 都市伝説」26項。扉と前書き見開き2頁は頁付なし(以下同じ)。
 82頁(頁付なし)「Column 1」2項。
 83〜133頁「第二章 怪談」21項の21番め、133頁に「赤マント[女学生を襲う恐るべき殺人鬼]」との見出しで以下のように説明しています。

 東京の尾久といえば、一九三六(昭和十一)年に起こった阿部定事件が起きた地/として知られている。しかしそれ以前の大正の初めごろから、尾久に女性が行くと/殺されるという根拠のない噂が囁かれていたという。*2
 現実にも昭和初期に、尾久で商店の若い主婦が連続して三人も殺されるという事/件が起こっている。
 阿部定事件以降、赤マントを着た怪人が出没して片端から人を襲って殺すという/風聞が流れたことがある。マントの怪人は男性とも女性ともいわれ、女学生が狙わ/れると考えられた。やがてこの話に尾ヒレがついて広まっていく。あちこちに死体/の山が築かれ、軍隊と警察が片づけて回っているというのだ。
 ちょうど一九三六(昭和十一)年から一九三七(昭和十二)年にかけての話で、当/時の不安な世相の反映かと思われる。二・二六事件も起きた年であり、血なまぐさ/い時代でもあった。マントの赤は血の色、あるいは軍国化のなかでの共産党の象徴/とも言われている。


 文章も「起こった‥‥起きた」等こなれない感じがありますが、内容的にもいろいろと問題があります。尾久の件ですが、次の記述に拠っているものと思われます。

 それから尾久町である。昭和の初め頃より東京市民は言うた。「女は尾久へ行くと殺され/る」と。それが、かなりの評判になったことがあった。それは、昭和の初年頃、荒川の尾久/町で、若い商店の主婦が三人、短時日のうちにあいついで白昼殺されたことから発したもの/であった。それで市民は尾久を懼れて女は尾久へ行くな――と言ったのであった。


 引用は小沢信男 編『犯罪百話 昭和篇』283頁5〜8行め。この本については2013年11月16日付(26)及び2013年11月17日付(27)にて述べました。282〜287頁の能美金之助「尾久の奇怪なる連続事件及び阿部定騒ぎ」の一節で末尾に「(「江戸ッ子百話」三一書房・昭和48年)」とあります。当時尾久は東京府北豊島郡尾久町で、昭和7年(1932)10月1日に東京市編入され荒川區となっております。『江戸ッ子百話』も見ておりますが、別に記述することとしましょう。
 さて、本書の「参考文献」には『犯罪百話』も『江戸ッ子百話』も挙がっていませんので、別の本に拠った可能性もありますが、とにかく「尾久に女性が行くと殺される」というのは「根拠のない噂」ではなく、実際に「昭和初期に、尾久で商店の若い主婦が連続して三人も殺されるという事件が起こっ」たことで「評判になった」のです。では何故「大正の初めごろから」予言されていたような記述になってしまったのかというと、どうやらこの直前の段落と混ざったみたいです。引用は『犯罪百話 昭和篇』282頁12行め〜283頁4行め。

 また、大正の初め頃、日暮里町に頻々と火事があった。その当時の東京人は恐れて、「日/暮里町は火事の名所」としてしまった。当時の日暮里町は、襤褸や紙屑その他、廃物の蒐集/地であった。下谷万年町その他の廃品業者が法令で日暮里町に指定移住させられたのであっ/た。火災が多かったのはそのせいで、その後、廃物業者を足立の西新井に移転させたため、/火事の名所という名称は日暮里町より消えた。


 この「大正の初め頃」が「女は尾久へ行くと殺される」に被せられてしまったもののようです。ちなみに東京府北豊島郡日暮里町も尾久町と同時に東京市編入され、荒川區となっております。
 これに続く赤マントそのものの説明もやはり奇妙なのですが、これについては改めて検討することにして、取り敢えず本書の残りの部分について、一通り眺めて置くこととします。
 134頁(頁付なし)「Column 2」2項。
 135〜167頁「第三章 学校の怪談」15項の2番め、140〜143頁「トイレの怪談」は「赤い紙と青い紙」赤いチャンチャンコ」「赤いはんてん」を取り上げていますが「赤いマント」にも同じ型のあることには触れていません。――唐沢氏は「トイレの怪談」としての「赤マント」にしか触れていませんので、本書に拠ったのかは微妙な気もするのですけれども。
 168頁(頁付なし)「Column 3」2項。
 169〜214頁「第四章 世界のミステリー」22項。
 215頁(頁付なし)「Column 4」3項。

*1:開き方によって表示される頁が異なるようです。省略されている頁があっても、一端Amazon詳細ページを閉じて、改めて開くと表示されるようです。

*2:ルビ「おぐ・あべさだ//ささや」。