瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(308)

宮田登の赤マント(5)阿部定と赤マント①
 さて、2つの「阿部定と赤マント」――「都市の語り出す物語」(『江戸東京を読む』二八四頁14行め~二八六頁3行め=『都市の民俗学』61頁13行め~63頁5行め)と『歴史と民俗のあいだ』186頁2~189頁2行め、について、少しずつ本文を引用して比較しながら、内容について確認して行くこととします。仮に前者を〔A〕、後者を〔B〕としました。改行位置については『江戸東京を読む』と『歴史と民俗のあいだ』は「/」で、『都市の民俗学』は「|」で示すこととします。〔A〕のルビは全て『都市の民俗学』での追加で、『江戸東京を読む』の当該箇所にはルビはありませんでした。
 見出し「阿部定と赤マント」はゴシック体で、『江戸東京を読む』は1行(二八四頁14行め)字下げなしで◆を十字型に5つ並べた記号を冠した見出し。記号は再現出来ないので仮に「◆」としました。『都市の民俗学』は1字下げで見出し、1字空けて本文。『歴史と民俗のあいだ』は本文の冒頭2行の頭に、1字下げ2行取りで見出し、1字分空けて本文。
 本文は仮の番号と見出しを附して、幾つかに分割して引用、検討して行くこととしましょう。
 まづ、赤マントの前段となっている箇所を眺めて置きます。
【1】尾久の連続殺人事件と阿部定事件
〔A〕『江戸東京を読む』二八四頁15行め~二八五頁7行め
   『都市の民俗学』61頁14行め~62頁7行め

 江戸が東京にかわっても、同じような話が出てきます。大正の初めごろ、荒川の|尾久*1に女が行くと殺される、という/うわさが評判になった。尾久(奥)という音が端的に表わしている|ように、この辺りは都心と周辺のちょうど境界にあた/るような土地なのです。そういう場所へ女が行っ|て殺された。実際、昭和の初年には荒川の尾久で若い商店の主婦が三/人、あいついで白昼殺されるとい|う犯罪事件があった。当時の町会長がその状況を記事に書いている。「尾久の奇っ怪/【二八四】なる連続事件およ|び阿部定*2騒ぎ」という記事です。昭和の初めに実際に連続的に女性が殺される事件があり、以前から/言|【61】われていた尾久に行くと女が殺されるという口碑が、現実の問題になった。そして十年*3経つか経たず|に阿部定の事件/が起こった。昭和十一年*4のことで、二・二六事件*5の直後です。この猟奇事|件の舞台が、尾久の待合*6であったわけです。/そして、逃走中の阿部定がどこそこに現われた、というう|わさが東京のあちこちで流れたのです。『朝日新聞』には銀座、/神田、東京駅、芝、日本橋*7と、それぞ|れに阿部定が現われたと報道されている。すると、そのたびごとに大勢、群をなし/て人々が集まってき|た。結局阿部定が逮捕されることによって、うわさ話は落着しているわけですが、その後尾久では、/阿|部定を福の神として祀りこめ、そのために尾久の花柳界*8は大変にぎわったといいます。

〔B〕『歴史と民俗のあいだ』186頁2行め~187頁8行め

江戸が東京にかわっても、同工異曲のうわさ話が続出している。大/正の初めごろ、荒川区の尾久に女が行くと殺される、といううわさ/が評判になった。尾久(奥)という音が端的に表わしているように、この辺りは東京市内/の境界領域にあたる土地である。そういう場所へ女が行って殺されたというのである。実/際、昭和初年には荒川の尾久で若い商店の主婦が三人、あいついで白昼に殺されるという/犯罪事件があった。当時の新聞の三面記事をにぎわせていた「尾久の奇っ怪なる連続事件/および阿部定*9騒ぎ」という記事である。昭和の初めに実際に連続的に女性が殺される事件/があり、以前から言われていた尾久に行くと女が殺されるという口碑が、現実の問題にな/【186】ったのである。そして一〇年たつかたたずに阿部定の事件が起こった。昭和一一年のこと/で、二・二六事件の直後である。この猟奇事件の舞台が、尾久の待合であった。そして、/逃走中の阿部定がどこそこの場所に現われた、といううわさが東京のあちこちで流れた。/『朝日新聞』には銀座・神田・東京駅・芝・日本橋などの地名があげられており、それぞ/れに阿部定が現われたと報道されている。すると、そのたびごとに大勢の見物人が集まっ/てきた。結局阿部定が逮捕されることによって、そのうわさ話は落着したが、その後尾久/では、阿部定を福の神として祀りこめ、そのために尾久の花柳界は大変にぎわったといわ/れている。


 私が少々面喰うのは「尾久」が「奥」だと云う語呂合せ(?)です。東北本線尾久駅は「おく」と読みますが地名は「おぐ」です。『都市の民俗学』では「おぐ」とルビを附していますが、宮田氏本人は「(奥)という音が端的に表わしているように」と述べているところからしても「おく」と読んでいたのではないでしょうか。ここを「おぐ」と読んでいたのでは「端的に」云々の説明は如何にも苦しい。
 それ以上に、この説明は、何だか変なのです。
 これに酷似した説は、当ブログでは実は既に検討済みです。2014年2月20日付(120)に検討した、世界博学倶楽部『都市伝説王』です。もちろん、宮田氏の方が先行しております。――妖怪や民俗学が苦手な私は、これまで宮田氏の著述に親しんで来なかったので、宮田氏が赤マントに触れていたことに、昨年まで(!)気付いていませんでした。そのため『都市伝説王』を見たとき「本書の「参考文献」には『犯罪百話』も『江戸ッ子百話』も挙がっていませんので、別の本に拠った可能性もありますが」として済ませて置くよりなかったのですが、ようやくその「別の本」が宮田登の著述であったことが分かったのです。思えば牛の歩みですが、牛の歩みも千里と思って少しずつでも片付けて行くこととしましょう。それはともかく、時期的に2007年刊『都市伝説王』は、1991年刊『江戸東京を読む』、1996年刊『歴史と民俗のあいだ』、2006年刊『都市の民俗学』の3点とも利用可能です。何に拠ったかは年明けにでも『都市伝説王』を見て「参考文献」を確認することとします。
 さて、〔B〕では「尾久の奇っ怪なる連続事件および阿部定騒ぎ」が「当時の新聞の三面記事をにぎわせていた‥‥記事」みたいになっていますが、「昭和初年」と「阿部定の事件」では10年の開きがあることから察せられるように、これは当時の記事ではなく回想です。この、能美金之助『江戸ッ子百話』の第九十七話「尾久の奇怪なる連続事件および阿部定騒ぎ」は2014年2月20日付(120)に見たように、小沢信男 編『犯罪百話 昭和篇』に収録されております。〔A〕の「当時の町会長がその状況を記事に書いている」の方がまだ誤解のない書き方ですが、「記事」と云っている辺り、やはり何らかの誤解があるようです。
 いえ、それ以上に、内容の方を完全に読み違えております。「尾久に女が行くと殺される、といううわさ」が先行して、昭和初年に現実に事件が起こった、と云うのは全く酷い誤読です。何故このような誤読が生じたのかは、2014年2月20日付(120)に私見を示して置きました。
 今、2014年2月20日付(120)に抜かなかったところをもう少し補って置きましょう。『犯罪百話 昭和篇』283頁9~11行め、

 さて、何故に若い商店の主婦が三人次々に殺されて人々を戦慄させたのか。その事件はあ/まりに有名で諸人が知っているが、当時筆者は町会長であって、少しく状況を知る故に、思/い出して書いてみよう。


 6年前「東京朝日新聞」の縮刷版でも確認しましたが、かなり大きく報道されていました。しかし今やすっかり忘れ去られて、殺人事件史の類の本にも出ておりません。そしてそういう本は往々にして、現代の事件の兇悪化を唱えるのですが、多くの事件が忘れられ、埋もれてしまっただけで、昔にしたって今とそう変わりはないと思います。埋もれていた新聞報道を掘り起こして過去にもそうした事件が少なくなかったことを少年犯罪に絞って証明したのが、2013年11月11日付(021)に見た管賀江留郎『戦前の少年犯罪』とそのHP「少年犯罪データベース 戦前の少年犯罪」でした。
 そして、285頁3~9行め、

 この白昼の三主婦殺しは、世間の大問題となった。尾久は若い女が殺される所だと東京中/の噂話にされたのも無理のないことである。何にしても物騒千万のことであった。そしてそ/れから十年ほど経った時に、また尾久町で大変事が起きた。それは、日本中に喧伝された阿/部定の事件であった。
 その年は昭和十一年で、二月にはかの大事件、二・二六事件が勃発した。二・二六事件は、/日本国民をアッと驚愕させた大事件であったが、同じ年の五月、東京人をして驚倒させるよ/うな猟奇事件が起きた。阿部定事件であった。‥‥


 それから、287頁6~10行め、

 事件後お定は尾久花町街の福の神であると言われた。前記の通りその時代は大東亜戦争の/前哨戦、日支事変の一年前とて、軍需工場が忙しかった時とて世間は金回りよく、花柳界に/も遊客が多かったので、好奇心より、尾久花町で遊ぶ客非常に多く、お定の事件の待合「満/左喜」は大繁盛した。当時、尾久の花柳界は、お定を福の神と崇め奉ったと言う。世の中は/まことに奇妙なものである。


 この能美金之助「尾久の奇怪なる連続事件及び阿部定騒ぎ」が『犯罪百話 昭和篇』281~320頁「5 阿部定という人」の1節め(282~287頁)です。続く2節め(288~290頁)は「東京朝日新聞昭和11年5月21日(20日夕刊)の「〝お定の影〟氾濫」で、20日午前9時半頃に「A……銀座」、その直後に「B……神田」、20日正午前に「C……東京駅」、20日午後0時半頃「D……芝区」、20日午後1時半頃「E……日本橋」と、逃亡中の阿部定について、東京市内を人違いや全くの誤報が駆け巡った様子が活写されています。これも宮田氏は活用している訳です。なお、続く321~384頁「6 三面記事の世界」の1節め(322~343頁)、鶴見俊輔「三面記事の世界」は、その少なからぬ部分(327頁13行め~335頁10行め)を阿部定事件に費やしていて、328頁11~13行めに、

 阿部定の行方を追うて、新聞は、想像にまかせて、書きつづける。そのおおかたは嘘だと/いうことがあとでわかったが、新聞記者は読者の希望的観測ともたれあいで、阿部定という/名の架空の人物をつくりあげてゆく。

と前置きして328頁14行め~330頁3行めに当時の新聞の見出しを列挙していて、その目撃場所として、市電内・上野駅前・資生堂・大阪の難波駅・新橋・浜松町方面、を挙げているのですが、宮田氏はこちらの方は参照しなかったようです。(以下続稿)

*1:ルビ「お ぐ 」。

*2:ルビ「あ べ さだ」。

*3:『都市の民俗学』は「一〇年」。

*4:『都市の民俗学』はここに「(一九三六)」挿入。

*5:『都市の民俗学』は「二・二六事件」。

*6:ルビ「まちあい」。

*7:『都市の民俗学』はこれら地名を読点ではなく中黒点「・」で列挙。

*8:ルビ「かりゆうかい」。

*9:ルビ「さだ」。