瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

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 論文の捏造(?)問題が生じている。ある者曰く、若手研究員は任期制で、期限内に成果を上げないと次年度の身分も予算も確保出来ない、故に勇み足を犯したのだ、と。
 そのような側面もあるかも知れないが、私としては所謂「査読論文」なるものが当てにならないことを証明したという点で喜ばしい。必ずしも論じられている内容を熟知した者が審査する訳ではない。その研究者にこれまでどのような蓄積があったのかも、点検しないだろう。査読者もそんなに暇ではないだろうから。提出されたものを、そこに提示された材料から筋が通っているかどうか判断する、そんな程度なのである。かと思えば、殆ど言いがかりに近いような理由で落とす査読もある。私も落とされた。そこでもっと専門的な査読誌に提出したらそっちは通った。そんなものである。
 だから、レフェリーがどうのではなく、発表後にもっと自由に悪口を言い合える環境が出来ない限り、学界は良くはならないと思うのである。尤も、今回の件が問題になったのは大騒ぎしたからで、ひっそりと発表されていたら疑念が表明されようが我々文弱の徒の知るところとはならなかったであろう。

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 最近、あまりここに個人的な意見を書かなくなった。東日本、という言い方に少々抵抗があるのだけれども、震災から3年である。当時、かなり私見を書いていた。報道については2011年4月8日付に、復興については2011年4月15日付及び2012年3月11日付に書いたことが、正しいとは言わないまでも、現状よりも余程マシな意見だったと思っている。そんなことを言って万が一のことが起こったらどうするのだ、という発想がそもそも間違っている。その結果が、現在の有様である。
 と誇ってみても仕方がない。専門家でもなんでもないから私の云うことなど聞かれなくて当然である。しかし専門家が必ずしも当てにならないことは、件の捏造(?)問題の周辺を見ても分かる。だから、心霊科学だとか超古代史とか訳の分からんことを言い出す手合いも絶えない訳だけれども。しかし、Twitterは馬鹿発見器とは良く言ったものだと思う。面白いツイートもあるけれども、大概は無知を曝け出しているだけなのではないか。仮に面白く呟けたとして、それを文字にして知らぬ人にまで見せなくても良いので、そんなものはただの呟き同様、消えてしまった方が良いのである。だから、久し振りに書いてみたものの、今後はやっぱり書かないことにする。