瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(54)

・遠田勝『〈転生〉する物語』(26)「一」8節め⑤
 昨日予告した、8節め「「雪女」と偽アイヌ伝説」の最後、青木氏が「白馬岳の雪女」を捏造した理由について、遠田氏の推測と、牧野氏の新稿に見える説を見た上で、昨日の検討を踏まえた上での私見を述べて置こう。
 遠田氏の著書の検討の順序としては、8月29日付(33)及び9月17日付(50)の続きになる。

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 8月20日付(24)に、牧野陽子が遠田勝『〈転生〉する物語』に反論して、青木氏の「白馬岳の雪女」捏造について、

 だが、〝捏造〟という意識が青木記者にあったとそれほどはっきりいえるだろうか。もし著者がいうように、ハーンの「雪女」は日本の民話を下敷きとしていたにちがいないと、 「多くのハーン研究者」 が信じ込んでいた、というのであれば、一介の地方記者ならばよけいに、ハーンの「雪女」はもともと日本のどこかの民話だと信じて、ただ元に戻しただけのつもりだったと解釈することもできよう。

などと擁護していることを〝斜め上の発想〟と批判したのだが、案外、悪くないかも知れないような気がしてきた。
 現代では尚の事そうだが、当時――大正から昭和初年に掛けての日本では、遠田氏も8月31日付(35)に引用した箇所で指摘しているように、気候の点で「武蔵の国という設定」が、この日本を愛した作家の傑作「雪女」の「唯一といってもいい弱点」となっていた。青木氏はこれをまづ北海道に移して見た。如何にも「大河を前にした雪深い森という風景」に合っている。
 遠田氏は8月28日付(32)に引用した箇所で、この翻案を上手く行っていないもののように論じていた。これは、次に見るように、遠田氏が白馬岳の雪女を以て、青木氏の「意図」が「成功し」たものと見做しているからである。37頁14行め~38頁9行め、

 青木は、アイヌ伝説集の二話ではハーンという出自を隠そうとしているのに、『山の伝説』のほ/うでは、茂作、箕吉と名前の音をそのまま残し、題名にも雪女を用いて、ハーンとの近さをことさ/【37】ら強調しているように思える。その意図については推測するしかないが、ひとつにはアイヌ伝説二/話の改作で、わたしは感じたように、この物語が「雪女」という言葉ぬきでは成立しないと気づい/たためではなかろうか。そして第二に、札幌の小さな書店から出した前作とは異なり、『山の伝説』/では、柳田国男の序文を付し、東京の出版社から出す以上、ハーンの「雪女」との類似を隠すこと/は難しい。であれば、むしろ、積極的に、ハーンが依拠したにちがいない、日本の原話になりすま/すほうが得策だと判断したのでなかろうか。だとしたら、もう少し上手に高濱の翻訳の痕跡を消す/べきだったとも思うが、しかし、こんなずさんな翻案でも、彼の意図はまんまと成功してしまった/のである。なぜなら、ここから白馬岳の雪女伝説は、本当の口碑として流布しはじめ、ついには、/これをハーンの原拠とする説が登場してしまうからである。しかし、なぜそこまで成功したのか。


 確かにハーンの「雪女」の「原話になりすます」には、余りにも「ずさんな翻案」と云わざるを得ない。
 その後、人の手を経て行くうちに「高濱の翻訳の痕跡」は次第に薄められて行くのだが、ハーン研究者はこれを「原話」とは見做さず、殆ど相手にしていない。しかしながら、信州や越中では(「流布し」ているかどうかはともかく)地元の「本当の口碑」として、とにかく定着はしている。
 それは、知識も判断力もある賢い研究者に対して、地元住民が純朴で素直だから、と云うことではないだろう。
 今、ハーンの「雪女」は、大抵の人が知っていると思う。テレビも見ず本も殆ど読まず、教科書や推薦図書なども旧来の名作ではなくなってしまっている最近の若者は、どうなのだか知らない。しかし『まんが日本昔ばなし』を見ていた位の世代は知っているであろう。
 しかしながら、大正から昭和の初年、牧野陽子が指摘するように旧制中学の教材や、遠田氏が挙げている翻訳によってハーン「雪女」も読まれるようになって来た訳だけれども、当時の白馬岳の山麓は鉄道も通じない田舎で、まだまだ知らない人の方が多かっただろう。いや、ハーンの「雪女」を知らなかったばかりではなく、「白馬岳の雪女」に関しても、そんな話は聞いたこともないと異議を唱える機会のないまま、地元民の与り知らぬ所で既成事実化が進められ、やがて地元もなし崩しに受け容れるに至ったと云うのが真相だろうと思っている。
 白馬岳の観光開発は明治末から始まっていたけれども、現在の白馬村まで鉄道が通じたのは神城駅まで大糸南線(現、JR大糸線)が延伸開業した昭和5年(1930)10月25日、『山の傳説 日本アルプス』刊行から3ヶ月半後で、さらに延伸して現在の白馬駅が開業したのは昭和7年(1932)11月20日、当時の駅名は信濃四ツ谷駅で、白馬駅に改称されたのは昭和43年(1968)10月1日である。この改称には昭和31年(1956)9月30日に長野県北安曇郡神城村・北城村が合併して白馬村が発足していたこと等が関係している。
 遠田氏は白馬岳に「雪女」伝説が定着した理由を、次の節の題にしている「地名の魔力」すなわち「白馬岳」という「美しい山岳高地の名前」に「結び付けたこと」に求めている。しかし、それは余所者の視点である。明治末から使われ出していた「ハクバ」の呼称が村名・駅名にまでなって定着したのは戦後である。かつ、その頃まで「白馬岳の雪女」を広めた媒体である出版物は、大方が地元絡みのものであった。『山の傳説 日本アルプス』は昭和5年(1930)7月に東京で出版されているが、著者の青木純二は執筆当時、新潟県高田市在住だったはずである(刊行時には横浜在住)。昭和10年(1935)の『大語園』は執筆も刊行も東京だが、この浩瀚な説話集から特に「白馬岳の雪女」を拾い出して注目した人はいなかったようである。やはり影響を与えたのは『山の傳説』と、『山の傳説』刊行から数年のうちに信州(長野県)越中富山県)両県で編纂・刊行された伝説集であろう。これが戦後に編纂された伝説集や、民話読み物の取材源となって「雪女」をそれぞれの地元で定着させて行くこととなる。
 すなわち、青木純二を除いて「白馬岳」の地名で広く、東京を始めとした県外にもアピールしようと狙った形跡は認められない。もし「地名の魔力」が効いたとすれば、それは白馬村発足の翌年、松谷みよ子が『信濃の民話』に取り上げて以降のことだろう。
 いや、青木純二にしてから、そこまでの「意図」があったであろうか。
 『アイヌの傳説と其情話』の「林檎の花の精」を「桜の精(上高地)」に使い回したのと同様、この「雪女(白馬岳)」も「雪の夜の女」の使い回しみたいなものだから、青木氏はハーンの「雪女」の設定を、余程、気に入っていたのであろう。しかしそれにしては、遠田氏も指摘するように「ずさん」である。ハーン『怪談』を知っている人が読めば、すぐにお里が知れてしまう。「もう少し上手に」出来そうなものだ。――しかしこれは、余りにもハーン研究者の立場からの、「雪女」に焦点を当て過ぎた解釈なのではないか。「雪の夜の女」にしても『アイヌの傳説と其情話』全87話のうちの1話である。「雪女(白馬岳)」は『山の傳説 日本アルプス』全117話のうちの1話なのである。そこまで「意図」して行われた改作・捏造なのだろうか。9月1日付(36)に引いた箇所で遠田氏本人が述べていたように、せいぜい青木氏「単独で、短期間に仕上げようとした」ための「まちがい」なのではないのか。
 それに「彼の意図はまんまと成功してしまった」とあるが、当時、この本を東京で読んだ読者から、別に、これこそがハーンの「原拠」なんじゃないか? 等と云った反響は上がっていない(ようだ)。白馬岳の雪女がハーン「雪女」の「日本の原話」だという説は、7月21日付(02)に見た昭和50年代の中田賢次まで、提示されていないはずである。長命だった青木氏は、ひょっとするとこの「成功」を見届けたかも知れないが、半世紀経っての「成功」とは、随分気の長い話である。
 だから、ここまでの検討と、ハーン『怪談』の自序の「日本各地に、さまざまな珍しい形で、実在したもの」との文言とを勘案すれば、むしろ青木氏は「雪女」が「どこかの民話だと信じて、ただ元に戻しただけのつもり」の方が説得力がありそうな気がするのだ。いや、流石に「元に戻しただけ」は言い過ぎだが、舞台を北海道にした「雪の夜の女」が、遠田氏が云うよう上手く行かなかったように青木氏が感じていたかどうかは分からないが、次の機会に本州の雪国の、吹雪に降り込められた山小屋と云う、武蔵国の渡し守の小屋よりも、より適当な場所に「安易かつイノセント(無自覚)に」据えてみたまでだったのではないか。
 これを読んだ者たちの反応も「安易かつイノセント(無自覚)に」ありそうな話だくらいのものだったのだろう。何かを求めて読むような人ばかりではないのである。もちろん、中にはハーン「雪女」の剽窃だと気付いて不快に思った者もいただろう。しかし彼らも柳田國男が序文でこのことを何ともしていないのを読んで「察し」、慎ましく口を噤んで騒ぎ立てたりしなかったのだろう。今だったら Twitter で盗作・捏造騒動になったかも知れないけれども。
 問題にならないまま、何となく古くからあるような印象を帯び、後続の伝説集にも「安易かつイノセント(無自覚)に」拾われ続けるうちにそれが既成事実化して、今や白馬村(の一部で)は「雪女の里」を称するに至っている。しかしそれは「地名の魔力」と云うより、全てに古びを与えてしまう「伝説」と云う名称の魔力によるものであろう。――遠田氏の指摘する「地名の魔力」等と云うものは、遠田氏が認定した「意図」とその「成功」と云う結果から遡って見付け出した理由に過ぎないように思われてならないのである。(以下続稿)