瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(38)

 著者の中島氏は2013年12月21日付「赤いマント(61)」に紹介した「楽天ブックス 著者インタビュー」の2010年8月5日「中島京子さん」に、「どんな資料を主に探されたのでしょう?」と問われて、

中島さん 構想を練り始めてから執筆にかかるまでに約2年ありましたので、その間に神田の古本屋や国会図書館、ネット書店などで、その時代のものを探したりしました。女中さんが出てくる話、という構想は割と早くから決まっていたため、有力な情報源となったのはやっぱり当時の婦人誌ですが、当時のレストランガイドや旅行案内なども読みました。また、タキさんは山形出身なので、山形から東京へはどうやって出てくるんだろう、とか細かいところも知りたくなって、当時の奥羽本線の時刻表を見てみたり。作品中でお勤めしているお宅の坊ちゃんが受験をするため、すごく昔の蛍雪時代などを読んだりもしました。昭和19年の春からタキさんは山形に帰ってしまうので、当時の山形新聞も。とにかく登場人物が本当に読んでいただろう資料を使って書きたい、と思ったので。

と答えている。それから「見つけたけれど入れなかったものもたくさんあるのでは?」と問われて、

中島さん はい。残念ながら削ったものもたくさんあります。例えば、‥‥

と、単行本のゲラ段階で削ったという双葉山のエピソードや、開戦時に流行した男性のネクタイ柄について語っている。
 こうして見ると、随分いろいろな資料を漁り、使わなかった資料も背景に控えているようであるが、それを素直に感じない意見もAmazonレビューには少なくないのである。一例として2013/7/12「★★☆☆☆ これぞ直木賞テイスト。」と題する小谷野敦(1962.12.21生)の寸評から、「まあだいたい、戦時下の中流階級の家庭が、著者の調べたディテール、というほど大したものではないが、とともに描かれるのがボディー。そこに、夫人のひそかな恋がからんで、‥‥」を抜いて置く。
 私も似たような印象を持っていて、けれども戦前に活躍した作家の評伝を何冊も書いている小谷野氏ほど詳しくもなければ当時の小説を大して読んでいる訳でもないのだけれども、戦前に活躍した国文学者の伝記を書こうと思って、その人が受け取った書簡に一通り目を通したこともあるので、けれどもやはり1冊の本にするほどの自信は今でもないのだけれども。
 それはともかくとして、同じ頃の「Web版新刊ニュース」の「Interview インタビュー」、青木千恵(ライター)がインタビュアーを務めた「『小さいおうち』 中島京子さん」(「新刊ニュース 2010年10月号」より抜粋)でも「古い雑誌を読んだり、史料を調べるのはもともと好きで、今回も楽しみながら行いました。一番参考にしたのは、当時の新聞の縮刷版や婦人雑誌です。後から振り返るようにして書かれたものは、空気が伝わってこないし、バイアスがかかっているから、できるだけ当時の史料にあたりました。‥‥」と答えている。ここは6月14日付(11)に触れたことがあるが、縮刷版というからには「東京朝日新聞」を参照したのだろう、と思う。
 けれども、やはりここは「都新聞」に当たるべきだったのではないか、と思うのである。当時の東京の市民生活をリアルに再現しようとするならば、そのリアルタイムを伝えようとする紙面作りをしていた新聞の第一は「都新聞」であったろう。そのことは赤マント騒動の取り上げ方1つを取っても明らかである。そして、中島氏が「後から振り返るようにして書かれたものは、空気が伝わってこないし、バイアスがかかっているから」として、北杜夫『楡家の人びと』のような先達を意識して遠避け、北氏がその準備のために「朝日新聞」に加えて「都新聞」を選択したことの意味に気付く機会を逸したとするならば、それは本書にとって誠に勿体ないことに、思えてならないのである。(以下続稿)