瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(41)

・瑣事少々(1)
 一番問題だと思うところを書くと言いつつ、しばらくそうでないところばかり書いて来た。
 まだちょこちょこと気になるところがあるので、肝腎なところを済ませてしまうと、詰まらない、別にそこがどうかしたところで大勢に影響を及ぼさないような瑣事になど、突っ込む気力が失せるかも知れない、それもなんだか折角メモを取りながら読んだのに勿体ない気がして、……しかしそれで肝腎なところを書かずに終わってしまっては元の子もないので、手書きのメモのうち、取り上げたか、取り上げていないか。それから、注意して見たものの本当に大したことではなかったか、私の読み違えで何だか問題があるように見えただけだったのか……の選別をして、一応何かの参考になりそうなものを小ネタ集(?)として上げて見ようと思ったのである。
・第二章9、昭和12年(1937)秋「北支事変」の最中のこととして、平井時子の女学校時代からの親友で雑誌『主婦之華』の編集者「睦子さん」が「自ら考案の「銃後髷」」について、説明する台詞(単行本65頁5〜9行め・文庫版71頁14行め〜72頁1行め)の中に、単行本65頁6〜9行め・文庫版71頁16〜18行め、

‥‥。|だから、銃後も前/線と同じくらい、がんばって戦わなきゃいけないってこと。第一次大|戦でドイツが負けたのは、/ひもじさに耐えかねて女たちが銃後の守りを放り出したのが|原因だというの。そうなってはなら/ないから、‥‥

とある。Amazonレビューでも指摘されているが第二次世界大戦勃発前だから「第一次大戦」と云ったはずがないのである。では何と云ったのかというと歐洲戰爭(欧州戦争)もしくは歐洲大戰(欧州大戦)と呼んだのである。
 最近読んだ本では辺見じゅん『呪われたシルク・ロード(角川文庫4625)』(昭和五十五年五月十日発行・定価380円・322頁)の147〜223頁、四章「聞き書き・機織り唄の青春」に、昭和40年代の末に著者が恩方周辺の古老を幾人か訪ねた中に、東京都八王子市上恩方町「佐戸の淵上キヨエさん(明治二十七年三月生れ)」の談話(157〜159・161〜165頁6行め)に、158頁13〜14行め「‥‥。たしか欧州戦争のときだった。そんとき、ドイツからオレンジの染料が来なく/なったといってたから。‥‥」とあった。
 国会図書館OPAC近代デジタルライブラリーなどで欧州戦争/欧州大戦で検索すれば幾らも出て来る。ヒトラーが戦争を起こしてから第一次欧州大戦、第二次欧州戦争などと呼ぶようになるのである。
・最終章1、漫画家イタクラ・ショージの「残した遺言状」に「挟まれていた」自分の「記念館の建物」の「詳細なパース」が、未発表の紙芝居「『小さいおうち』の洋館と、あまりにも似てい」て、最終章6、イタクラ・ショージ記念館を訪ねた健史はそれが「大伯母の愛した赤い屋根の家であることは明らかだった」と気付くのである。そして、健史が館内を回って見るところ、単行本306頁12〜13行め・文庫版327頁7〜9行め、

 三周年といっても、まだ真新しくて、部屋毎に木製のプレートが立ち、ここが応接間、|ここが居/間、縁側のサンルーム、寝室、などなど、かつてどうやってその家が使われてい|たかを示していた。

とあるのだが「かつて」は要らないだろう。実在の建物を忠実に模しているとは云え、実際に「かつて‥‥使われていた」のではないのだから。(以下続稿)