瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『軍師の境遇』(7)

 随分間が空いてしまったが、3月26日付(4)で触れた、今年のNHK大河ドラマを当て込んで刊行された文庫版の、もう1冊を取り上げて置こう。こちらの方が角川文庫の新装版よりも若干早い。
河出文庫(二〇一三年八月一〇日初版印刷・二〇一三年八月二〇日初版発行・定価620円・209頁)

軍師の境遇 (河出文庫)

軍師の境遇 (河出文庫)

 カバー等については、追って他の河出文庫松本清張作品とともに記述することにする。
 奥付の前の頁、下部中央に明朝体縦組みで小さく、

*本書は松本清張『軍師の境遇』(角川書店、一九八七年)を底本とし、/ 小社文庫化にあたり同名の小説のみ収録した。なお、一部差別的とも/ とられかねない表現があるが、著者物故につきそのままにした。

とあって、この河出文庫版もやはり、3月6日付(3)に書影を示した、角川文庫初版に拠っているのだが、「逃亡者」「板元画譜」は省かれて表題作のみとなっている。
 1頁(頁付なし)扉。
 3頁(頁付なし)「目 次」は、3月30日付(5)で見た角川文庫版と違って、細目を示している。
 5頁(頁付なし)中扉「軍師の境遇」。
 7頁から本文。1頁17行、1行38字。章題はやや大きな字で1字下げで入っており、右に2行分、左に1行分の空白。但し頁の先頭に章題がある場合、右の空白を省略している。
 以下、細目を示す。参考までに同じ字詰めの角川文庫新装版の頁・行を( )に入れて添えて置いた。
 「迷 い」7頁1行め〜23頁14行め(6頁1行め〜22頁13行め)
 「岐阜への使い」24頁1行め〜40頁9行め(22頁14行め〜39頁5行め)
 「相 客*1」40頁10行め〜53頁2行め(39頁6行め〜51頁15行め)
 「中国征伐*2」53頁3行め〜73頁13行め(52頁1行め〜72頁10行め)
 「攻 勢」74頁1行め〜82頁2行め(72頁10行め〜80頁13行め)
 「別所反逆*3」82頁3行め〜93頁7行め(80頁14行め〜91頁17行め)
 「荒木謀反*4」93頁8行め〜107頁10行め(92頁1行め〜106頁2行め)
 「裏切られても」107頁11行め〜120頁15行め(106頁3行め〜119頁6行め)
 「孤 囚*5」121頁1行め〜140頁13行め(119頁7行め〜139頁4行め)
 「帰 還」140頁14行め〜164頁3行め(139頁5行め〜162頁10行め)
 「三木城*6」164頁4行め〜173頁3行め(162頁11行め〜171頁9行め)
 「鳥取*7」173頁4行め〜179頁9行め(171頁10行め〜177頁13行め)
 「高松城水攻め」179頁10行め〜188頁15行め(177頁14行め〜187頁1行め)
 「疑 惑」189頁1行め〜203頁12行め(187頁2行め〜201頁14行め)
 章題の振仮名は本文だけでなく「目次」にもあり、底本の角川文庫初版に同じである。ちなみに本文の振仮名も角川文庫初版を踏襲しており、角川文庫新装版のように振仮名の省略は行っていない。
 末國善己「解 説」205〜209頁17行め。末尾に下詰めで小さく「(すえくに・よしみ 文芸評論家)」とある。発表の時期や媒体、松本氏の他の歴史小説坂口安吾山岡荘八歴史小説にも言及し、書かれた時代との関連から評価を試み、最後に大河ドラマの脚本家のコメントにも触れている。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 ところで、作家の解説に解説を書かせると、作家色(?)を出そうとして蛇足を加えたり、殆ど「解説」になっていなかったりしがちなのだが、角川文庫新装版に新たに加えられた葉室麟(1951.1.25生)の「解説」は、飽くまでも作品の解説に徹しており、主人公を同じくする吉川英治黒田如水』と司馬遼太郎播磨灘物語』との比較もしているのだが、これらの作品が発表された時代に触れていないのが、残念である*8。葉室氏が初出に触れていない上に、角川文庫初版にあった初出誌についての頁が省略されたため、角川文庫新装版のAmazonレビューに「既に描かれ尽くした感があったであろう軍師・黒田官兵衛を、何故敢えて松本清張が描いたのか」という疑問を持って読んだが分からなかった、という感想が書き込まれることになってしまった。初出を示さないからこのような誤解(?)をする人が出て来るのである*9。――この人を批判したいのではなく、必要な情報を示さない編集姿勢を批判している。念のため。
 院生の頃、――僕等は今現在、現代人としてこの作品を読んでいるのだから、純粋に本文に書かれていることに取り組めば良いので、それ以上のことをあれこれ調べて読まなくても良いのだ、みたいなことを言う先輩がいて、確かに、どんなに調べても当時の人の知識と感覚を身に付けて読むことなど出来ない(ある程度までは出来るとしても)のだから、一理あるとは思うのだけれども、どうしても同じ題材を扱っている他の作家や同じ作家の作品と比較して見たくなるものなのだから、最低限、いつ、どのような層が対象の媒体に、どのようなつもりで、どのような資料*10に基づいて、書かれたのかくらいの情報は添えて置くべきだと思う。作家の「解説そのものが」そういった情報を拒絶するような「ひとつの世界になって」いるのであれば、編集が「解説」とは別に示して、たとえ改版であっても初出は省略しないで欲しいのだ。人物を見るのに一応、履歴書を確かめるのと同じで、作品の履歴はないがしろにしていいものでは、決してない。(以下続稿)

*1:ルビ「あいきやく」。

*2:ルビ「せいばつ」。

*3:ルビ「べつしよはんぎやく」。

*4:ルビ「あらきむほん」。

*5:ルビ「こしゆう」。

*6:ルビ「みき」。

*7:ルビ「とつとりじん」。

*8:大河ドラマのことにも触れていないが、これは見識であろう。

*9:これを問題にするなら、雑誌連載の後、角川文庫初版に収録されるまで30年、書籍化されなかったものを復活させた版元の姿勢こそ、問われるべきだろう。もちろん作家本人も刊行に同意して、改題もしているのだけれども。――作家の関与ということでは、文章に手を入れたかどうかも確認しないといけないが、その用意は今のところする予定はない。

*10:これは具体的に指摘しなくても、当時その登場人物はどのようにイメージされていたのか、と云ったことで良い。その上で、通説通りか、それとも新たな解釈を示したのかが分かろうと云うものなのだから。