・岸田今日子「夏休みの日記」(2)
11月2日付(20)の続きで、岸田今日子の昭和22年(1947)夏休みの日記から、北軽井沢の天候を抜き出して見ましょう。
七月十五日 晴
七月十六日 晴
七月十七日 晴
七月十八日 くもりのち雨
七月十九日 晴ときどき雨
七月二十日 くもり
七月二十一日 くもり又は晴
浅間山の記述はあまりありません。10月30日付「岸田衿子・岸田今日子『ふたりの山小屋だより』(3)」に見たように「一日分を一枚ずつ」と分量が決まっていますから、何事もなければ特に記述されない訳です。噴火前に浅間山の記述がある日は、152頁1〜2行め、
七月二十二日 晴のち雨
浅間を中心とする連山が雲一つかゝらずはっきり浮き出てゐる。‥‥
のみです。
七月二十三日 晴
七月二十四日 くもり
七月二十五日 晴のち雨
七月二十六日 晴のち雨
七月二十七日 晴のち雨
七月二十八日 くもり
七月二十九日 晴
七月三十日 晴
七月三十一日 くもり
八月一日 晴
八月二日 晴
八月三日 晴
八月四日 晴
八月五日 晴
八月六日 晴のち雨
八月七日 雨
八月八日 晴
八月九日 晴
八月十日 晴
八月十一日 晴
八月十二日 晴
八月十三日 晴
噴火前日までを抜いて見ました。10月27日付(19)に引いた、「朝日新聞」東京本社版8月22日付「声」欄の宮本勇「浅間山の教訓」に「爆発のスリルを味わおうとする登山者で連日にぎわっているとも報じていた。」とありますが、7月末からほぼ晴の日が続いていた訳です。(以下続稿)