昨年の11月、ふと『パノラマ島綺譚』を手にしたのは、母が天知茂扮する明智小五郎(江戸川乱歩の美女シリーズ)のファンで、中学の頃、夕方の再放送を良く見ていたのを私も一緒にほのぼの(?)見ていたからで、高校では運動部に入ったのでそんな暇はなかったが、中学は暇な文化部に入ってしまったのでそんな余裕があったのだ。それはともかく、自分に襲い掛かろうとする美少年(?)に美少女が凶器で反撃して血が噴き出すといった画集を、何処かの図書館(!)で見た記憶はあるけれども、丸尾末広(1956.1.28生)という名前からは『ちびまる子ちゃん』の丸尾君のモデル(?)――くらいの知識しかなかったのである。
絵が綺麗である。積極的に探し求めて次々読みたいとまでは思わないけれども。
ところが、親戚に「コミックビーム」を定期購読している女性がいて、丸尾末広のファンだというのである。
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・91頁3コマめ、富豪菰田源三郎が生き返ったこと(実は売れない作家人見広介がすり替わる)を祝う宴席の場面、紋付き袴の小男が「オカヘリナサヒマシ」と挨拶している。表記は新字現代仮名遣いなのだけれども、一部、このように歴史的仮名遣いらしくなっている箇所がある。片仮名になっていることにも意味があるのだろうけれども私には分からない。
ここのところは「お帰り」は「おかへり」で良いが「なさひまし」は、尊敬の補助動詞「なさる」に丁寧の助動詞「ます」の命令形「まし」が付いたもので、「ます」は連用形接続だから「なさり(まし)」となるべきところがイ音便で「なさい」になっているのだから「ナサイマシ」とあるべきである。それとも方言か何かでそのまま「オカヘリナサヒマシ」と発音しているのだろうか。
しかしながら、以下の例を見ると、発音を忠実に写したのではなく、丸尾氏の癖(?)らしいのである。
・105頁4コマめ、菰田源三郎(実は人見広介)の台詞「言へなかったのだ!!/協力してくれ!!」
・113頁2コマめ、菰田源三郎(実は人見広介)の台詞「新しい家を与へ/移住させなさい」
前者はハ行下一段活用の可能動詞「言へる」の未然形「言へ(ない)」、後者はハ行下一段活用の「与へる」の連用形(連用中止法)だから、仮名違いではない。しかしながら、次のような例もある。
・102頁3コマめ、菰田源三郎(実は人見広介)の台詞「ここから沖の島がよく見へる」
これは文語ではヤ行下二段活用「見ゆ」とすべきところであって、すなわち、連体形(見ゆる)の終止形化と、下二段活用の下一段活用化という2種類の変化によって口語では「見える」となったのだから「見へる」は仮名違いである。
何か基準があるのかも知れないが、仮名遣いは現代仮名遣いに統一した方が良いのではないか。
先に挙げた「与へる」では、次の例の方が「与へる」との表記が相応しい。
・16頁3コマめ、神保町の兎月書房の雑誌「探偵王」の編集長の台詞「それに「もし我に巨万の富を与えるならば」って/これ…どっかで読んだような」
神保町の裏通りのCOFFEランボウで、人見広介の小説「RAの話」を読みながら言うのだが、原稿からの引用なのだから「与へる」と表記してあっても悪くない。尤も、15頁3コマめの手書き原稿(11行の方眼紙)は「‥‥らに奥へ進‥‥/‥‥見事な花の‥‥/‥‥果実が光り‥‥/‥‥海の‥‥/‥‥か‥‥/‥‥/‥‥/‥‥さらなる美‥‥/‥‥女達は笑い‥‥/‥‥魚は飛びはね‥‥/‥‥日は莩き續‥‥」と読めるが「笑い」は仮名違いで「笑ひ」とあるべきである*1。
・151頁3コマめ、菰田源三郎(実は人見広介)の台詞「すぐに着替えなさい」
こここそハ行下一段活用「着替へる」の連用形「着替へ(なさい)」で良かったのだ。
* * * * * * * * * *
ざっと目に付くところで済ませたので細かく見れば実は法則があったのかも知れないが、今回はこれで切り上げる。
もう1点、気になっているのは、全体に緻密な描写で埋め尽くされているのに新聞記事が好い加減であることだ。83頁4コマめ「菰田源三郎氏奇跡の蘇生」の記事本文はまるで関係ないのだけれども総ルビの新聞記事から採っているが、95頁3コマめ、「1927年7月25日」付の新聞の「芥川龍之介氏自殺」は、内容が無関係であることはもちろんのこと、ルビが全くなく当時の新聞記事らしくもないのである*2。(以下続稿)