瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

手塚治虫『ブラック・ジャック』(5)

大林宣彦監督『瞳の中の訪問者』(5)
 映画の楯与理子(ハニー・レーヌ)は、パリ留学中に、やはり留学中のピアニスト風間史郎(峰岸徹)に出会い、同棲する。しかし史郎の愛に圧迫感を感じていたところに、たまたま日本の実家から(史郎の存在を知らずに)知らせてきた縁談に乗る形で、史郎に黙って逃げるように日本に戻り、楯雅彦(和田浩治)と結婚して幸せに暮らしているのだが、史郎を嫌いになって別れた訳ではないので、日本に戻った史郎が自分を捜し当てて目の前に現れると、たちまち史郎と夫の間で心が揺れ動いて板挟みに苦しみ、既婚であることを楯にしても諦めない史郎に、ついに自分を殺すよう頼むのである。
 原作では犯人の姓名は示されていない。前回見た警視庁資料課の場面で説明されていたように館与理子は強姦された上に殺害されている。
 千晶がこの男を捜してイラストに描き、さらに本人にも会う、と云う展開は原作も映画も同じだが、映画の風間史郎は最初、自分の姿が見えると云って近付いて来た千晶に訝しそうに接し、遠ざけようとするが、事情を理解し千晶が本気であることも知るや、ついに楯与理子を殺害した現場に連れて行き、楯与理子殺害の経緯を説明し、今度こそ自分も死ぬつもりで*1千晶を殺害しようとするところに、今岡コーチとチーム&ルームメイトの南部京子が駆け付けて史郎は自殺、千晶は助かるのである。原作では42頁、千晶はこの美青年を見付けると「いま見失うともう一生会えなくなるような」と跡を付け、青年に気付かれて43頁、人目に付かないベンチで事情を説明する。ベンチに並んで座って(しあわせ……これが初恋ってものかしら)とのぼせる千晶であったが、青年は44頁1〜4コマめ、

青年:千晶の腕をつかんで「あんた……/何もかも知ってるんだな……あんたはわかってしまった おれが女を殺したいきさつを!/じゃああんたも生かしちゃおけない/あんたのほうからやってきたんだ こいつは いいさいわいだったぜ」
千晶:「えーーっ な なにを/何を殺したんですって」
青年:「三か月ぐらい前 女友だちをやったのさ! こういうふうにな」千晶の首を絞める
千晶:「ウ…ウグ……」

と千晶に襲い掛かる。しかしこれは、どう考えても青年の早とちりで「女を殺したいきさつ」まで分かっていたら、赤面しながら近付いたりしなかったろうに、何故かそこが見えているつもりで、ただちに千晶を消しに掛かるのである。
 これも、すんでのところで駆け付けたブラック・ジャックがメスを投げ付けて、千晶を救うのであるが、――そう云えば、これも前回見た、ブラック・ジャック箕面医大の小松佐京先生を訪ねる場面で、小松先生は39頁2コマめ、ブラック・ジャックの「たとえば殺される瞬間に見た光景なんか……」と云う見当に対して、3コマめ「ハハハハハハハハハハ きみ 意外とSF的やなあ」と笑いつつ、最終的には別れ際に、7コマめ「角膜を調べてみィや/犯人がうつっとるかもわからんで!」と言っているように肯定的になっていた。
 しかしながら、もしブラック・ジャックや、犯人の青年が想定したように「殺される瞬間に見た光景」が「焼き付いた」とするなら、爽やかな立ち姿などではなく、44頁2コマめの、千晶を襲ったときの血走ったような顔付きが、焼き付きそうなものである。
 しかしそれでは、千晶がこの見たこともない青年に、初恋のときめき――これをラストで「春一番」に喩えているのだが*2――を覚える、などと云う展開にはならない。暴行殺人場面が繰り返し再現されるのだから、恐怖の余り精神に異常を来してしまいそうだ。
 可能性としてはむしろ、館与理子はこのかなりの美青年を以前から想っており、彼が異常者で自分に劣情を抱いていることを知らないまま、誘われるままに2人きりになり、襲われて抵抗するうちに殺されてしまった*3のだが、角膜に焼き付いていたのはそこではなくて、館与理子がずっと片想いで、ずっと遠くから見ていた青年の姿であった。すなわち、余りに強く想って、忘れまいとして見ていたので*4焼き付いてしまった、と考えた方が良さそうだと思うのだけれども。(以下続稿)

*1:何故楯与理子を殺害したときに一緒に死ななかったのかは説明されていなかった……のか説明されたのに私が覚えられなかったのか。

*2:46頁5〜6コマめ、ブラック・ジャックの最後の台詞「そうがっかりするなよ これは春一番これからほんとうの春がくるんだ」。

*3:この青年が初めから殺害まで考えていたのか、激しく抵抗されたから殺害したのかは不明。

*4:当時は簡単に写真を撮る――携帯電話で写真を撮るなぞと云う藝当の出来ない時代である。