瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

吉田秋生『吉祥天女』(6)

 4月1日付(5)の続きではなくて、8月11日付「吉田秋生『櫻の園』(3)の続きで、当時としては『万葉集』を使ったことも特殊なケースとは言えなかっただろう、と書いたけれども、作者の吉田氏が『万葉集』好きであることも事実らしいのである。
 『吉祥天女』の発端、高校2年生になった新学期の授業初日、起床直後から腹痛に悩まされていた麻井由似子*1は、2時限めの後*2の休み時間に保健室で寝ることになって、そこで小学館文庫版第1巻37頁、主人公の叶小夜子と出会うのだけれども、その前の、保健室に連れて行かれる切っ掛けになった、教室のロッカーに荷物の出し入れをしているうちにしゃがみ込んでしまった由似子に気付いた友人の大野真理との会話は、文庫版第1巻26頁3〜6コマめ、

真理:「どしたの 由似子 おなかいたいの?」
由似子:「……ン」
真理:「こりゃもうマジで保健室だ/ホント顔色まで悪くなってきちゃったよ」
由似子:「でも…次 古典だから あたし 万葉集好きなんだもん」
真理:「またァ! そんなこと言ってる場合じゃないでしょーー そんな青い顔してンのに!ほらっ早く行こ! まったくあんたは世話が焼けるったら!!」

と云うものであった。由似子は特に真面目で優秀な生徒ということにはなっていないのだが、お腹が痛くても『万葉集』が好きだから我慢してでも出たい授業なのだ「古典」が。
 文庫版第1巻35頁3コマめ、保健室で1人寝ている由似子の心内語も、

由似子:(あーあ… 古典だけは好きな科目なんだけどな/今年は新学期からついてないわ)

という、今からすると信じられない内容なのであった。
 ――確かに私の入学した平成初年の大学文学部にも、国文科に入ったのは「法律や経済は特に興味がないし何を勉強するか分からないし、英文や仏文・独文は外国語が出来なきゃいけないけど国文科は日本語だから分かるでしょ?」というようなことを言っていた、卒業論文を古典で書こうという女子学生がいて、別にそれを物凄い理由で入学してる奴がいるとも思わなかったのである*3。いや、国文科の学生だけではない。当時文系の学部に入るには普通に古典が入試科目にあったから、一般教養の授業で古典を読んで、別に国文科の学生でなくても普通に聞けていたものである。国文科の学生でなくても好きな古典の1つや2つ――もちろん高校教科書レベルだけれども、談じ合うことも出来たのである。……無理な奴もいたけど。
 思えば、『櫻の園』の『万葉集』の引用には、現代語訳も意味の説明も何も付いていなかった。それも実は物凄いことでもなんでもなくて、作者が特に『万葉集』が好きだと云うことはあるにしても、当時の文系大学を目指そうという生徒、それに理系でも国公立志望であれば原文である程度通じたから、説明らしきものが「忍ぶ恋の歌」のみで、済んでいるのだ。
 そこからすると、以後30年の古典をめぐる動きは、現代語訳に偏し説明過多になっているのではないか。自力で読めるようにしないと古典は終りだ。つまり、読めて当然と突き放す態度が取れなくなった時点で、分り易くしたつもりが全く分らなく(分らなくても良く)する道筋が付いていたのだ*4。――そんな気がしてならない。(以下続稿)

*1:読みは「あさいゆいこ」。

*2:文庫版第1巻13頁5コマめ「一時限めつぶして」掃除、2時限めは文庫版第1巻22頁4コマめから25頁めまでで英語。

*3:AO入試や推薦入試のない時代はとにかく大学は入れば良いので、高校時代にやりたいことを決める必要はなかった。むしろ、入ってから得た様々な刺激の中で自分の専攻を固めていく過程、それこそが大学らしかったのではないか。今みたいに資格に直結した学部学科で入ったのでは教養なんか要らない(と学生に思わせても仕方がない)だろう。でもそれなら初めから「大学」でやる必要がないだろう。それを「大学」にしたのは、教員や法人が「大学」ということにしたがったように思える。

*4:この間の古典関係の出版界は、一般向けにはとにかく訳して分り易くして、という企画で維持して来たような按配だったように見えるが、それは実際には古典を普及させるというより、自分で自分の首を真綿で締めるようなことになっていたのではないか。