瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎『小笛事件』(4)

 昨日からの順序で云えば甲賀三郎が、平松小笛は被告に復讐するために他殺を擬装した自殺を試みた、という通説(?)に対して「然らず」つまり「そうではない」と述べている「論拠」について述べるべきなのだけれども、前々回からの順序で山下武「『小笛事件』の謎」(探偵小説の饗宴』所収)が挙げる、山本禾太郎『小笛事件』のもう1つの疑問点について、引いて置こう。211頁4行め〜212頁1行め、なお前後を1行ずつ空けた《 》で括られた引用は2字下げだけれども、面倒なので字下げにはしていない。傍点の処理は前回の通り、被告の実名の処理については9月1日付(2)に示した通り。

‥‥、幼い大月姉妹がなぜ殺されなければならなかった/か、その理由を語ろうとせず、本書の末尾にほんの申しわけ程度ふれているだけである。
 
《事件のすべては明かとなったが、著者が書き洩らした重要な点が一つある。それは(なぜ小/笛が幼き大月の子供二人を殺したか)その理由である。
 高山氏が当初事件解決の重要点として、その理由の探索に熱心したことは既に述べた。そし/て高山氏はその理由を知ったのであったが、そのことは事件の表面に少しも現れてゐない。
 高山氏は、この理由についてなぜ沈黙を守ったか。それは、その理由を持出さなくとも被告/の冤は充分に雪ぎ得る自信があったのと、いま一つの大きな原因は、弁護士といふ職務を離れ、/個人としての道義的観念から口外しなかったものと察せられる》(傍点=山下)
 
 ――これを読んだ読者は誰しも釈然としないばかりか、奥歯に物の挟まったような物の言いかた/に腹立ちすらおぼえるはずである。まして、著者自ら「重要な点」と認めるからにはなおのこと。/探偵小説界のウルサ型として聞こえた甲賀三郎が文句をつけなかったのも不思議だが、当時の新/聞・雑誌に現われた批評のうちにもこの問題にふれたものが一つもなかったのは奇怪といわざるを/えない。‥‥


 大月姉妹を殺した可能性があるのは、被告・小笛の他に「私が死ぬときは、必ず二人の子供と一緒に死ぬ」と学友にもらしていたという千歳」の計3人であるが、山本氏は小笛が殺したものと見ているようだ。
 しかし山下氏のコメントは全くその通りである*1。山下氏はVII章(213頁11行め〜221頁5行め)の最後(220頁18行め〜221頁5行め)でも再び、

‥‥。また、養女の千歳はともかく、/なぜ小笛が幼い大月姉妹まで道連れにしなければならなかったか、その理由もついに解明されない/まま残された。この問題は前にもふれたが、禾太郎のいうごとく、高山弁護士がその理由を知りな/がら「道義的観念から口外しなかった」とすれば、甚しく読者を愚弄するものといわざるをえない。/本書の百五十一頁にも高山弁護士が「(なぜ子供を殺した? これがこの事件を解決する鍵だ)と、/低く呟いた」とある以上、この謎を伏せたままでは探偵小説として成立しないからだ。

と述べ、さらにVIII章(221頁6行め〜231頁4行め)の冒頭でもこの問題について「職業柄、高山弁護士には守秘義務があったかもしれないが、今日のようにプライヴァシー問題が喧しくなかったあの当時、事件に直接関与しなかった第三者の」山本氏には、大月姉妹の殺害について明らかにすることが「できたはずではなかったか……。」と述べ、さらに「『小笛事件』を読んだという読者から同様の不満を述べた手紙がぼくの許へもきている」として、次のような文面を紹介する。222頁1〜3行め、

《同事件は法医学的な観点で有名なようですが、私は禾太郎の『小笛事件』でも提起されてい/る、何故他人の二人の子供を道連れにしたかに最も関心を持ちました。しかし同書ではそれが/解明されたとしながらも伏せたまま終っているのが残念です》(東京 S・N氏)


 そこで私が不思議に思ったのは、243〜244頁(頁付なし)「初出一覧」の最後、244頁15行めに「『小笛事件』の謎 書き下ろし(九十七枚)」とあることである。雑誌に連載されていたのなら「読者」の手紙が挿入されるのも分かるが、書き下ろしでどうして読者は山下氏が『小笛事件』についての論考を準備中であると知っていたのだろう。その辺りの事情も分かるような形で引用して欲しかった。(以下続稿)

*1:但し大月姉妹の殺害理由についての説明が全くないのかというとそうではなくて、212頁に「地裁の第二回公判」で「高山弁護士は、なぜ小笛が「二幼児を道連にした」かの説明として「小笛の極度のヒステリイ」を挙げ、日頃から彼女は「子供に対して病的な愛着を持って」おり「この利己的な病的な愛着が、自殺決意の非常時に偶発した」ものとする見方を示した。」とある。それだのに作者の山本氏自身が作品の末尾で大月姉妹殺害の「理由」が「事件の表面に少しも現れてゐない」とか「高山氏は、この理由についてなぜ沈黙を守ったか」などと述べたのは、こんな思い付きを出ない説明では到底納得は出来ないという意識のなせるわざなのだろう、多分。