瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎『小笛事件』(5)

 文体が敬体になったり常体になったりしますが、それは書いている内に日によって、内容によって何となく選択しているのです。とにかくこの文体で書けてしまったのだから、別に統一することもないだろうと思って、そのままにしています。
 昨日は夕方に出先で踏切待ちをしていたら、――私は踏切を待つのが好きで、かつて月に何度か、今はなき平沼踏切を20分も30分も待って渡ったものだった。橋や地下道があっても地べたを歩いて渡りたいのである。昨日も西日を浴びながら待っていたら、下りのCASSIOPEAが通過して行った。別に乗りたいとも思わないし見に行こうとしたこともないが、偶然見ると何だか良い物を見たような気になるのだった。それでどうも、余裕があると何だか歩いてしまうのである。しかし、その後暗くなってから、やはり外を歩いて移動していて雨に降られた。

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 山下武「『小笛事件』の謎」に基づく素人見当の続きに戻りましょう。
 山下氏は「この『小笛事件』なるものが、読み返せば読み返すほど、新たに多くの疑問が生じてくる」といい、「その疑問に」作者山本禾太郎が「答えてくれない」ことへの不満を表明しています(225頁)。そのためかなり詳細に「事件の現場の模様を‥‥再現」して見せているので、一応山下氏の記述だけでも筋が引けそうだと思ったのです。細かい疑問点は多々ありますが、大きなものはVI章に示された、9月10日付(3)に挙げた甲賀三郎の指摘と、9月11日付(4)に挙げた大月姉妹の殺害理由を敢えて伏せたとしていることです。後者については小説でも書いて示すよりありませんが、前者の、山下氏が分からないように云っている、小笛が「自殺を他殺と仮装して、検察当局の眼を欺き、死後被告に復讐する心算であったかないか」について甲賀氏が「然らず」としている「論拠」については、容易に見当が付けられるのではないか、と思うのです。
 被告が、小笛を殺害後に自殺したように擬装した、と見たのは検察です。
 これに対して弁護士は、小笛は自殺したのだ、と主張し、被告の擬装でない以上、被告は犯人ではない、と主張しました。
 小笛他殺説の根拠は、VII章、218頁16行めに「第一には、小笛の懸垂死体の奇妙な姿勢、第二に、彼女の頸部に二重の索溝を認めたためである。」と整理されています。結局、この2つとも、裁判では自殺説で説明が可能で他殺説は無理があるということになって、被告は無罪になるのです。
 しかしながら、肝腎の、当初他殺の鑑定をした京都帝国大学教授小南又一郎(1883.7.27〜1954.11.6)も、218頁に引用される著書『法医学短篇集』では「縊死は多く自殺である」と述べているように、普通、首吊りは他殺とは思われない死に方です。
 小笛が「自殺を他殺と仮装」するつもりであったのなら、もっと「他殺」らしい死に方をすれば良いでしょう。「奇妙な姿勢」も「二重の索溝」も、前者は死の直前に起こった痙攣等で、後者はぶら下がっているうちに恐らくは重みでずれて、偶然そのようになったので、初めから意図して出来るものではありません。……念を集中して頑張れば出来るのでしょうか? 女の一念、……(以下続稿)