瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎『小笛事件』(6)

 昨日時間切れで書ききれなかった続き。

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 要するに甲賀氏の論拠は、この辺りにあるだろうと思うのです。
 小笛は縊死という、通常自殺と判断される死に方をしているのです。そして他殺説の根拠となった「奇妙な姿勢」も窒息時の痙攣によって自然にそうなったという結論に落ち着きました。「二重の索溝」は1つに生活反応がなかったから、絞殺後吊されたという他殺説の根拠になったのでしょう。しかしこれも、ぶら下がっているうちにずれて2つめの生活反応のない索溝が顎に近い位置に出来たことになりました。だとしたら今度は、窒息という状況下「他殺に仮装」するために「奇妙な姿勢」を取ったりすることが可能かどうか、が問題になるはずです。もちろん「二重の索溝」もぶら下がっているうちに2つめの索溝が付くと予め計算して、その通りに出来るものなのでしょうか。よほど周到な計画を立てて死ねば、或いは可能になるのかも知れません。2時間ドラマなら(笑)しばしばそんな計算をして実行する人物が出て来ますが、こうした発想の大元は或いは小笛事件なのではないか、という気がしてくるくらいです。けれども甲賀氏はまずそんなことはないだろうと考えたから、小笛が「自殺を他殺と仮装」という説明を「然らず」としたのでしょう。
 ――私にはこうとしか考えられないので、山下氏はトボケているのかと思ったのです。
 しかしながら結局のところ、「自殺を他殺と仮装」という考え方自体が、おかしくはないでしょうか。
 甲賀氏も常識的な発想に従っているように見えて、既にこの事件を支配している先入観に絡め取られているのです。
 この「自殺を他殺と仮装」という発想は、事件当初の、警察・検察・監察医の「他殺を自殺と仮装」という思い込みの裏返しに過ぎません。
 所詮はただの「自殺」、それも縊死という最も「自殺」らしい「自殺」でしかなかったものを「自殺を他殺と仮装」というふうな受け取り方をさせたのは、検察側が「他殺」説つまり「他殺を自殺と仮装し」たと強く主張した結果、そうでなければ「自殺を他殺と仮装し」たことになる、かのように思い込ませてしまったのだと思われるのです。
 すなわち私はこの事件が解決しなかった最大の理由は、この「他殺を自殺と仮装」という先入観が事件全体に強く働いた結果だと考えるのです。

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 ところで 山下氏が甲賀氏の見解について「“小笛悪女説”を真っ向から否定した」とまで云っている理由を見て置きましょう。
 9月10日付(3)に引いた山下氏のコメントの続き、210頁14〜211頁4行め、

‥‥雪冤慰労の小宴で、思わず被告の口を衝いて出た*1/「卑劣な計画と、奸悪な手段とで私を売ろうとしたもの」という言葉は、かつての情人、平松小笛/に対する被告の邪推と誤解にすぎなかったのだろうか。「チトセワアナタガコロスノデスネ」と記/した小笛の遺書、散乱する被告の名刺、遺書に捺された被告三文判――現場に残されたこれらの/重要証拠品――は小笛が被告を罪に落そうとした目的以外、いったい誰がなんのために用意したも/のか、甲賀はこの疑問に答えてくれない。
 答えてくれないといえば、山本禾太郎もまた、‥‥


 この続きが9月11日付(4)の引用になるのですが、しかし、この程度のことが「擬装工作」と云えるのでしょうか。
 仮にこれらのことどもを「擬装工作」と認めたとしても、小笛の死は常識的に「自殺」としか考えられない首吊りなのですから、甲賀氏の云う通り、小笛の死に方に「自殺を他殺と仮装し」ようという意図を認めるのは相当困難です。小笛が「他殺と仮装し」たかったのであれば、首吊りは一番相応しくない死に方でしょう。
 死に方に「他殺」を思わせる要素がそもそもなかった以上、山下氏は混ぜて考えてしまっていますが、所謂「擬装工作」とは分けて考えて置かないといけないと思うのです。甲賀氏はそこを分けて考えて「自殺を他殺と仮装」を「然らず」としたまでであって、以て“小笛悪女説”の「否定」とは取れないと思うのです。
 大体、大月姉妹殺害を高山弁護士が法廷で「小笛の極度のヒステリイ」と片付けていたのに比べれば*2、小笛が自分たちを見捨てようとする情人の名刺をぶちまけ、遺書におかしなことを書いたことなぞ、――それこそ自殺を目前にして取り乱して、という説明で済ませられそうなものです。山下氏の引く範囲で見る限りでは、被告擁護が仕事とは云え、やはり弁護士の論法には甲賀氏も指摘するような偏りが感じられて、私にはすんなりと受け容れがたいものがあるのです。(以下続稿)

*1:ルビ「せつえん・つ」。

*2:本当に真の理由を突き止めていたのなら明らかにしてもらいたいものだ。