瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「東太郎の日記」(26)

 私は感情移入を強いられる藝能が苦手なので、落語はよく聞くけれども人情噺は好きではないのです。浄瑠璃浪花節も必要があって聞く程度です。
 そんな訳で、浪花節に関する本も読んだことがなかったのですが、先月からぼちぼち、参考になりそうな本を借りてみました。まず、6月22日付「正岡容『艶色落語講談鑑賞』(1)」から8月26日付「正岡容『明治東京風俗語事典』(1)」まで、この夏たびたび取り上げた正岡容(1904.12.20〜1958.12.7)の遺著『日本浪曲史』を『定本正岡容寄席随筆』と同じ体裁で改版した大西信行編『定本 日本浪曲史』を借り、それから図書館の書庫から出してもらって『日本浪曲史』の初版と、大西信行浪花節繁昌記』を借りました。これらの本の内容の出入りについては、別に記事にした方が良いでしょうから、ここでは詳細には及びませんが、列伝体の通史なので、個々の浪曲師の活躍時期や藝の系統・藝風など大まかなところを知るには適していますが、私の知りたい込み入った事情や関係者のことまでは当然のことながら及んでいません。
 他にも2冊、ついでに借りて置きました。
・唯二郎『実録 浪曲史』一九九九年六月二〇日初版発行・定価5600円・東峰書房・447頁・A5判上製本

実録 浪曲史

実録 浪曲史

 カバー装画は林家木久蔵(初代。現・林家木久扇)画。
 巻末445〜447頁、布目英一「あとがきにかえて」に拠れば、NHKの演劇プロデューサーだった唯二郎こと神沢健二(1923〜1996.12.24)が「月刊浪曲」に99回、昭和48年(1973)の記述で中絶するまで連載していた「私の浪曲史ノートから」を纏めたもので、445頁11〜13行め、

「戦前の浪曲の歩みを知るには正岡容の『日本浪曲史』がある。しかし戦後については、昭和四十五年に『浪曲ファ/ン』が出るまではまとまった記述がないから、その間の歩みをきちっと活字にしておかないとね。僕の使命はそこに/あると思っているよ」唯さんはことあるごとにそう語っていた。‥‥

とあるように昭和10年代以降が詳しく、昭和1桁まではの個々の浪曲師たちの動向よりも列伝体の『日本浪曲史』に対する通史として、浪曲界全体に関わる出来事について詳細に述べています。従って、斯界の第一人者にはなれなかった初代京山小圓の記述は殆どないのです。
 そしてもう1冊、これに当時の斯界の事情が詳細に述べられていたのでした。
・梅中軒鶯童『浪曲旅芸人(青蛙選書11)』昭和四十年十月二十日発行・定価九五〇円・青蛙房・338頁・A5判上製本
 浪曲師梅中軒鶯童(1902.2.24〜1984.10.30)の、終戦までの半生の回想記です。この本に山本禾太郎(と思われる人物)が登場するのです。詳しくは次回以降述べることとします。
 やや遅れて仕事帰りに少し歩いて、次の本を借りました。
・芝清之『日本浪曲大全集』平成元年4月14日印刷・平成元年4月26日発行・定価12,000円・浪曲編集部・314頁・A4判上製本
 芝清之(1923.3.28〜1998.1.12)は非常に精密な浪曲資料の掘起しをして何冊かに纏めているのですが、流石に公立図書館には殆ど所蔵されていないので、見る機会がありません。いづれ一通り閲覧する機会を得て、記事にしようと思っています。(以下続稿)