怪異談が好きな人間にもいろいろあると思いますが、私は基本的に「子不語怪力亂神」という立場で、すなわち、まともな人は怪異なんぞを語らない、だから怪異談を御大層なもののように持ち上げたり、わざと拵え事をして大袈裟にしたりするのが苦手です。私は、立派な人間じゃあないから怪異談のようなものを、下らない、まともでないものとして、面白がっているのです。
幼時から理屈っぽい子供で、怪異談は好きでしたが特に興味を持つというほどではありませんでした。それが人より勝れて怪異談好きになったのは、小学6年生のときに『遠野物語』を読み*1、かつ入学した中学が昭和末年の当時にして木造校舎のある古い学校で「×中の七不思議」が語られていたこと、などに拠るのです。
この辺りの事情は、正確に述べようとするともっとややこしくなるので、改めて書くことにします。
で、私は幽霊を見たことのない人間で*2、特に否定もしないが信じてもいないのですけれども、じゃあなんで怪異談に興味を持ったのかというと、辻褄の合わない話を聞いて恐がっている同級生を見て奇異に感じたからです。
例えば、夜の校舎に、忘れ物を取りに行ったり、母親と喧嘩して家を飛び出して行き場がなくて、忍び込んだ生徒が、怪異現象に遭遇し、翌朝、死体で発見された、という話があります。
嘘です。
その生徒が夜、学校に入って、何らかの事情で死亡したのは、死体を見れば分かるでしょう。しかし、怪異現象に遭遇して、妖怪だか幽霊だかのために命を取られたのかどうかは、本人が死んでるのだから分からない。
その分かる訳がない部分を強調して大袈裟に話すのを聞いて、きゃあきゃあ言って「寝れない」とか「トイレに行けない」とか言っている。
何故、こんなに明瞭に嘘だと判る話を聞いて、まともに恐がれるのか。何故、こんな話を聞いて「ホンマの話なんやって」と言いながら友人の間に広めようと思えるのか。――全く不可解です。これこそ怪異と云うべきでしょう。
しかも、その「本当」とされる話は全国の学校やら心霊スポットやらに似たような話があって、その全てが本当だとするととんでもない数の児童生徒が怪異の犠牲になっている計算になるはずだのに、具体的な話は一向に聞こえて来ないのです。まぁ呪われたクラスで怪我をした、という話は聞きましたけど、呪いのせいで怪我人が多いのかどうかは、統計を取って検証しないと「本当」とは言えないはずです。別のクラスの怪我人は「一般」の怪我(?)扱いされて忘れられ、そのクラスでの怪我人ばかり「呪い」の怪我、などということにされているだけでしょう。――こんなことを書くとそれも推論に過ぎないだろう、と言われましょうが、どっちにしても「推論に過ぎない」以上、数字が明らかにならない以上「呪い」とは決められないはずです。
こんな理屈を捏ねても仕方がないので、現役生徒だった頃の私は、同級生や部員たちから、面白がってこういう話を聞き、書き留めていたのでした*3。
私の一応の結論は、私たちの心にはそもそも「怪」があって、「怪」は異体字では「恠」すなわち「心」に存「在」する、とも書きますが、だから辻褄が合わなくても受け容れてしまうし、さらにありもしないことをあったかのように感じてしまうのだろう、と云うものです。
そんな、誰もが感じ受け容れ得る、当り前のことであってみれば、それを殊更おどろおどろしく語るのは、却って「怪」に対する冒涜だ――そんな気がして来て、拵え事のホラーなどには勢い厳しい眼を向けざるを得なくなるのです。
対し方ですが「本当」はどうだったのか、という視点から眺めることに終始します。すなわち、正確な、場所と時期と現象の記録から、その背景を探る、ということです。
ですから、体験談にはあまり興味がありません。通販の広告にある「※個人の感想です」と同じで、第三者としてそれが「本当」なのか検証のしようがない。学校や寺社などでの体験なら、その方面から眺めることも出来ますが、特に因縁が伝えられている訳でもない場所や、普段は何も感じない自室で変なものを見た、という体験では、起きていたのなら目の錯覚か幻覚で、寝ていたのなら夢、としか返しようがありません。何でそんなものを見たのか判らないようなものを見たとして、本人に心当たりのないものを他人の私に判りそうなはずがないので、判断の下しようがないし、下しても仕方がない、と思うのです。いえ、下すべきではない、と思うのです。まぁ、どうしても気になるなら霊能力者と称する人のところに行けば良いのです。説明してくれるでしょう。それが「本当」かどうかはともかくとして。(以下続稿)
【1月16日追記】この文章は何日か前に1月15日付「赤い半纏(1)」の前置きとして準備したものだったが、長くなったので独立させた。
*1:私の持っている本は2011年4月5日付「柳田國男『遠野物語』の文庫本(01)」に挙げた 新潮文庫2146『遠野物語』昭和五十八年六月十五日二十四刷。中学入学後、他人に勧めたくなって学級文庫にしばらく置いたので、裏表紙見返しに「×中学校一年七組×番‥‥」と名前を書入れています。残念ながら、読んだと言ってくれた級友は皆無でしたが。
*2:2015年12月28日付「講談社別館の幽霊(3)」の注に唯一の、それらしき体験を述べて置きました。金縛りには何度もなっていますが、2014年9月16日付「遠藤周作「幽霊見参記」(2)」に述べたように私(の体験した現象)は怪異現象だとは思っていません。
*3:この辺りのことは2011年3月22日付「幽霊と妖怪」にも述べたことがあります。