瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子城(3)

・揺籃社ブックレット8『東京の名山・名城 高尾山と八王子城2009年10月12日初版発行・定価800円・高尾山の自然をまもる市民の会・123頁・A5判並製本

高尾山と八王子城―東京の名山・名城 (揺籃社ブックレット)

高尾山と八王子城―東京の名山・名城 (揺籃社ブックレット)

 ブックレットだからカバーはない。背表紙は焦茶色地で上半分に明朝体太字で標題、やや下に明朝体で「椚 國男  吉山 寛」と著者名、最下部にゴシック体細字で小さく発売元の「揺籃社」とある*1
 用紙は薄手のアート紙で白黒もしくはカラーの図版が挿入される。
 1頁(頁付なし)扉は縦組みで、中央やや上に明朝体太字「東京の名山・名城 / 高尾山と八王子城」とあり、下に明朝体「椚  國 男/吉 山  寛」が並ぶ。裏は白紙。3頁「目 次」。
 4〜6頁、高尾山の自然をまもる市民の会「まえがき」。この本の直接の由来について述べた箇所のみ引いて置く。6頁4〜8行め、最後の段落に、

 「八王子城跡と高尾山をもっとよく知りたい」というおもいから、/高尾山の自然をまもる市民の会は、会報225号(2007年4月)/〜248号(2009年3月)まで2年間連載しました。このブッ/クレットは、それをもとに編集したもので、皆さんのご期待にそえ/る内容であると思います。

とある。
 8頁(頁付なし)明朝体太字「八王子城寸描・雑話」の扉で、下部に明朝体「椚  國 男」で縦組み。
 9頁(頁付なし)左下に明朝体縦組みで小さく下詰めで「高尾山の自然をまもる市民の会 会報/第225号(2007年4月)から第235号(2008年3月)掲載」とある。
 内容は『戦国の終わりを告げた城』をダイジェストにしたようなところもあるが、その後の動きについて触れるところも多い。
 連載は12回だが11の章に分かれており、連載との関係は確認を要するが「高尾山の自然をまもる市民の会 会報」は未見。怪異談が扱われているのは5章め、29〜32頁「忌み山」で、29頁2行め〜30頁4行め「死霊への恐れ」30頁5行め〜31頁3行め「八王子神社の再建」31頁4行め〜32頁(10行め)「今も残る怪奇」の3つの節に分かれている。(以下続稿)

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 広島県安芸郡府中町の中学校で12月に生徒が自殺していたことが今月に入って明らかにされた件について、一部に短絡的かつ感情的な担任バッシングが見られるが、私は同調出来ない。識者と云われる人たちや大臣がtwitterでの感情論を読んで迎合したようなコメントを口にしているが、綺麗事に過ぎるようである。
・担任は、中学1年生のときに万引きしたという記録=根拠に基づいて専願推薦出来ないと言っている。
・私立高校の第1志望に専願推薦出来ないことは面談等の機会には当然、担任から親に、その理由とともに説明される。
 以上の2点は当然行われるべきものであって、この対応自体には何の問題もないはずである。
 担任が生徒に、しつこく専願推薦出来ない理由を親に言うように要求したのは、3者面談でいきなり担任から説明して親を慌てさせるより、記録によれば当然、親も承知しているはずの1年生のときの万引きが、今年度からの推薦条件に引っ掛かっていること*2を、生徒の方から事前に親に知らせて置いた方が、その先に話を進め易いと考えたからであろう*3
 全く身に覚えがないのであれば、記録がおかしいから調べ直してくれ、1年生のときの担任に確かめてくれ――当時の担任が転任して、いないのだとしても問合せは出来るだろうし、同じ学年(現3年生)の担任や副担任・学年主任などの中には持ち上がっている人がまだいるだろう*4から、そういう人の名前を出して確認を求めるべきであったろう。結果的に生死に関わるほどの大問題になったのだから、そのくらいの要求を出して然るべきだと思うのだ。しかし、学校側の説明では、生徒は特に抗弁していないようだ。当時バレなかったものの身に覚えがあった、旧悪が今頃になって露見したと勘違いしてしまった可能性もあるだろう。では誰が悪かったのかと云うと、誤りに気付きながら不十分な訂正しかしなかった、当時の教員たち(特に文書の作成・管理者)が悪いのである*5。担任の確認が杜撰だという意見が目に付くが、記録の誤りに気付け、誤りかも知れないと当時を知る教職員に確認せよ、と担任に要求するのは余程無理がある。記録があるのにわざわざそんなことをしたら、それこそ「うちの生徒に限って」みたいな恣意的な感情を持って行動していることになってしまうだろう。当ブログでも度々指摘しているように、もっと簡単に気付けそうな記録の誤りをそのまま踏襲したり、下手をすると自分に都合の良いところだけ摘み食いしてさらに誤りの上塗りをしてしまった大学の先生や著名な執筆者の例は枚挙に暇がない。私は平気でそういうことをして改めもしない人たちをこそ糾弾したい。……もちろん、文学研究などという生死に関わらないジャンルの話だから問題にならないのだけれども*6
 隠蔽されている事実でも出て来たら私も考えを改めるだろうけれども、一応現時点での解釈の可能性として提示して置く。飽くまでも可能性であって、こうだと強く訴えたいのではない。憶測である。ただ、(対案がなくとも)間違いは放置すべきではない*7、ということと、議論は根拠に基づいて行われるべきだ、という当ブログでの日頃の主張にも関わるので、敢えて私見を述べたみたのである。

*1:私の見た本は「社」の字の下半分は分類票に隠れており、さらに文字があるかどうかは不明。

*2:途中で、入学時と違う条件にするのも問題である。――私が以前勤務していた付属高校でも、突如大学からの要件が厳しくなって、入学時に示されていた条件なら内部進学出来た生徒たちが推薦を受けられなくなったことがある。しかし、途中で切り替えるのは避けるべきで、入学時の条件は最後まで通すべきだろう。厳しくするのは次の新入生からにすべきで、それでは信頼を損ねることをもっと議論し、大学にも認めさせるべきであったと思ったものだった。

*3:従って、むしろ配慮があった、と云うべきではないのか。

*4:他の学年に転じていてもまだ同じ学校にいる人もいるだろう。

*5:当時この中学の教員でなかった担任は、このうちに入らない。――推薦の条件が厳しくなったことに関しても担任よりも管理職の責任である。

*6:3月10日追記】この辺りの学界特有の複雑怪奇な事情は2013年2月13日付「謬説の指摘(4)」まで連日論じたことがあります。今回の件は、誤った資料を回収して破棄しデータも更新して正しい資料に置き換えれば良かっただけなので、もっと事情は簡単だったはずです。

*7:3月10日追記】今朝のNHKニュースでは「中3生徒自殺 校内に正しい内容の別の資料も (3月10日 5時04分)」として、正しい情報の載っている資料も存在していたのに確認が十分でなかった、という論調でしたが、普通、記載内容の違う資料が複数存在するなんて思いません。間違っている方が2年間も放置されていて、担任に参照させてしまったことが問題なのに担任の「確認が」という文脈になっているのは、変ではないでしょうか。……私だって確認しないでしょう。この件に関してはコメンテーターの発言内容の見当が付きますし見るのも不快なのでワイドショーなども見ていませんし、ネットの情報も殆どチェックしていないので、マスコミや糾弾している一般人たちはもっと決定的に担任が悪である証拠をつかんでいるのかも分かりませんけれども、しかしその人たちの主張を何となく眺めている限りでは、――悪そうな顔をしている奴は悪人に違いないから疑え、良い子が悪いことをするはずがないから記録を疑え、という主張を平気でしているような感じです。それこそ人を見た目と表面的な印象で判断することになるのではないでしょうか。それにしても、