揺籃社ブックレット8『高尾山と八王子城』の「今に残る怪異」の最後の段落、その冒頭の32頁3〜4行めを抜いて見よう。
霊感のつよい人には死霊*1にみちた怖い山であり、霊が呼ぶのか花篭沢の奥で/は自殺者が多い。‥‥
この「霊が呼ぶのか」という事例は『戦国の終わりを告げた城』の「造形大の怪談」に鏤められていた。
まず、3月10日付(04)に引いた「石彫制作棟での怪」の段落の最後、69頁2〜5行め、
‥‥。尚樹さんが入学した一年二か月前には、ここで一/人の彫刻科生が凍死したという。すぐ西側の下を通る道と細い花かご沢川をへだてた向こうは多/くの死者がでた山下曲輪であり、花かご沢川沿いの小道を奥にはいったところでは、ここ一〇年/間に五、六人縊死者があり、グラウンドの南側下にある大学の駐車場わきでも一人出ている。
「尚樹さん」のことは3月6日付(02)に述べたが、前後する可能性はあるが恐らく昭和58年(1983)4月に東京造形大学に入学しているので、凍死があったのは昭和56年(1981)1月か2月という計算になる。3月11日付(05)に引いた「御主殿の滝より奥の広場」では、69頁11行め、
‥‥、ここでは数年前、焼身自殺者が出ている。
と云うのである。そして3月14日付(08)に引いた「御主殿の滝のちかく」では、70頁10〜13行め、
‥‥また、/ここでは三、四年前の雨の日の夜に、恋人を車にのせた青年が、広場で車をまわして帰る途中、/真っ直ぐに走るようにハンドルをとっているのに滝下の方にひき寄せられて横転し、ドアからや/っと這いだしたという事件もある。
と、これは執筆時である平成2年(1990)から勘定しての「三、四年前」であろうから昭和61年(1986)か62年(1987)である。(以下続稿)
*1:ルビ「しれい」。