瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

遠藤周作「幽霊見参記」(10)

・文藝別冊「遠藤周作」(2)
 表紙は書影に示した通りで、Amazon詳細ページにてそれぞれ文字が読める程度に拡大して閲覧出来ます。
 背表紙、〔初版〕は最上部に縦長の淡灰色の楕円(1.9×0.6cm)があって「文藝別冊」、少し空けて「総特集 遠藤周作 未発表日記 五十五歳からの私的創作ノート 河出書房新社」赤字はゴシック体でやや小さく、氏名は明朝体太字で大きく、藍色は明朝体太字、黒は明朝体〔増補新版〕の楕円(1.5×0.6cm)は黄色で初版よりも若干小さく「文藝別冊」とあって、すぐ明朝体で大きく「遠藤周作」、上から7.0cmと7.8cmのところを二重線で仕切ってゴシック体横組みで「全文一挙/ 初公開 」そして明朝体太字で「フランス留学時代の恋人フランソワーズへの手紙 河出書房新社」とある。
 裏表紙は「遠藤周作文学館」の広告で文字は横組み、〔初版〕は匡郭(15.2×12.5cm)があって、上部にさらに匡郭があって海を背景にした門から建物全景の写真(6.4×10.5cm)、その下にたどたどしい毛筆の館名。〔増補新版〕には匡郭はなく写真(5.9×10.5cm)は門から建物全景を収めるが初版が俯瞰であったのに対し、大人が立った高さから撮られている。館名は同じ、その下に添えられている茶色の文字、初版は明朝体遠藤周作が『沈黙』の舞台、外海町で静かに語りかける……」、増補新版では宋朝体で二重鍵括弧が鍵括弧に、三点リーダは1つになり、また地名が「外海」になっている。その下に初版は淡い赤橙色地(4.6cm)、増補新版は淡い鶯色地(4.8cm)に「利用のご案内」「交通アクセス」を示す。右上に机の写真を示すがやはり同じものではない。違っている箇所のみメモすると「●観覧料」が「一般350円」が「一般360円」に、「●施設の内容」に「開架閲覧室、」が追加されていること、最寄りのバス停が「黒崎支所前」だったのが「道の駅(文学館入口)」と改称されていること、また略地図が初版は北が上で島原半島から平戸島までを収めるのに対し、増補新版は北は左上で(方位は示されない)示されるのは大村湾西彼杵半島周辺のみ、長崎空港もしくは長崎からのアクセスがイメージ出来れば方角もどうでも良い、と云う作りになっている。そして初版の匡郭最下部は赤茶色地(0.7cm)に明朝体白抜きで、左に「外海町立 遠藤周作文学館」これが増補新版では鶯色地(0.9cm)に「長崎市 遠藤周作文学館」右側の1行め、住所も初版は「〒851-2327 長崎県西彼杵郡外海町大字黒崎東出津郷77番地」だったのが増補新版は「〒851-2327 長崎県長崎市東出津町77番地」となっている。2行めの電話とFAXは同じ番号。この広告の左、裏表紙の左上には誌名「文藝別冊」と版元名、住所と電話が入る。もちろん組み直されているが同じ番号。広告の下、右にバーコード2つ、中央右下寄りにISBNコードとCコード等2行、左下にゴシック体で初版「定価[本体1143円]+税/雑誌62182-80」増補新版「定価[本体1300円](税別)/雑誌62185-18」とある。
 表紙見返し、〔初版〕は『三田文学名作選』の広告。〔増補新版〕は「町田市民文学館ことばらんど」の広告。

 裏表紙見返しは「周作クラブ」の広告で、〔初版〕の「これまでの主な行事」は「2000年9月」から「2003年9月」までであったが〔増補新版〕は「2013年2月」から「2015年9月」までを挙げている。
 前付(頁付なし)1頁め扉、〔初版〕は黒印刷で机で執筆中の写真、〔増補新版〕は群青色で教会の祭壇に近い壁際の椅子に腰掛ける斜め後ろ姿。初版は2〜3頁め見開きが紺色印刷の「目次」だったが増補新版は2〜4頁が群青色印刷の「目次」。初版の4頁めは黒印刷の、綺麗に削った十数本の鉛筆を収めた木箱の写真。目次の最後の頁の左下に横組みで、初版は「装幀・グラビア・目次・本文AD=大谷知帆表紙・大扉写真撮影=稲井勲本文挿絵=遠藤周作」とあったが、増補新版は「装幀・目次・本文AD(増補分)=中島かほるグラビア・本文AD=大谷知帆表紙・目次扉写真撮影=稲井勲本文挿絵=遠藤周作」となっている。
 〔初版〕〔増補新版〕1〜16頁「遠藤周作写真館」はアート紙のカラーグラビア(頁付なし)、但し白黒写真の方が多い。
 〔増補新版〕は続いて17〜46頁「【増補】全文一挙初公開」と銘打った「フランス留学時代の恋人/フランソワーズへの手紙」。17頁(頁付なし)は扉、18〜34頁に福田耕介訳の5通の手紙の訳文、23頁のみ「一月十三日朝」と「一月十四日夜」の原文が横組みで示される。35〜37頁【注】、38〜46頁【手紙解説】今井真理「遠藤からフランソワーズへの手紙」2段組。
 〔初版〕17〜102頁=〔増補新版〕47〜132頁は初版の目玉だった「未発表日記/五十五歳からの私的創作ノート」で最初の頁は扉(頁付なし)、日記本文は〔初版〕18〜83頁=〔増補新版〕48〜113頁、昭和53年(1978)の「十二月三十一日(日)曇」に始まり昭和56年(1981)の「十月九日(金)」に終わる。本文最後の頁の11行め下に「(仏語訳・牛場和子)」とある。
 〔初版〕84〜96頁=〔増補新版〕114〜126頁【日記解説】山根道公「『侍』と『スキャンダル』の間/――その変容を明かす未発表日記」2段組。
〔初版〕18〜83頁=〔増補新版〕48〜113頁【日記をめぐるコラム】校條剛「めしと説教」囲みで3段組、異同は肩書き「(前・小説新潮編集長)」が「(元「小説新潮」編集長)」に変わっていること。
 〔初版〕103〜120頁=〔増補新版〕133〜150頁【インタヴュー】三浦朱門「わが友、遠藤周作を語る」3段組。霊の一件についての記述があるのはもちこんこれである。詳細は後日述べることにして、今日は内容の比較を済ませることにする。
 〔初版〕121〜136頁=〔増補新版〕151〜166頁【エッセイ】2段組。瀬戸内寂聴「義姉弟」3頁、加賀乙彦遠藤周作キリスト教と私」3頁、河野多惠子「天国と悠々と……」3頁、遠山一行「「キリスト教芸術センター」のことなど」2頁、小柴昌俊「夜中にふと目覚めて」2頁、矢代朝子「おじちゃまぁ」3頁。うち小柴氏の文のみ末尾に2行「(初出――『黄金の国』パンフレット 97年10月25日|遠藤周作/作 磯野辰典/演出)」とあって再録である。
 以下しばらく、理由は不明だが初版の通りに収録されていない。
 〔初版〕137〜144頁=〔増補新版〕193〜200頁【対談】遠藤周作×妹尾河童「狐狸と河童の夢舞台」3段組、最後の頁の下段の囲み、の紹介文には手を入れていない。最後の頁中段の最後に「(初出――「報知新聞」91年11月21日・24日)」とある。
 〔初版〕145〜160頁=〔増補新版〕177〜192頁、アート紙の白黒グラビア(頁付なし)「遠藤周作と劇団「樹座」」2〜7頁めに【エッセイ】加藤宗哉「劇団樹座の価値」丸ゴシック体白抜き。
 〔初版〕161〜191頁=〔増補新版〕167〜176・201〜221頁【評論】2段組。
 評論は初版ではまとまっていたが増補新版では間に白黒グラビアと対談が挟まっている。
 〔初版〕161〜170頁=〔増補新版〕167〜176頁【評論】木崎さと子「遠藤周作とカトリシズム」
 ここまで増補新版は初版の順序を踏襲していない。
 〔初版〕171〜181頁=〔増補新版〕201〜211頁【評論】高橋千劔破「遠藤周作歴史小説について」。
 〔初版〕182〜191頁=〔増補新版〕212〜221頁【評論】今井真理「悪の扉―――遠藤周作とサド」。
 〔初版〕192〜217頁=〔増補新版〕222〜247頁【座談会】高橋千劔破×宮部 尚×高橋一清×木下陽子「編集者から見た素顔の遠藤周作」3段組。
 〔初版〕218〜225頁=〔増補新版〕248〜255頁 矢内一正「遠藤周作著作紹介」3段組。
 〔初版〕226〜228頁=〔増補新版〕256〜258頁 矢内一正「遠藤周作著作紹介」3段組。
 〔初版〕229頁〔増補新版〕259頁、初版の広告は次の「アーティスト発信の全く新しい同人誌」。
new (KAWADE夢ムック)

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 増補新版は「好評既刊 河出書房新社遠藤周作の本」として「新書判シリーズ、全六冊。」、最新刊として次の本の書影が示される。 他の5冊は標題と定価、ISBNコードと簡単な紹介文。
 〔初版〕230〜239頁=〔増補新版〕260〜271頁 山根道公 編「遠藤周作年譜」3段組。2頁増えているがこれも詳細は別に記事にしよう。
 最後の頁(頁付なし)は左側が横組みの奥付、右上は横組み【文藝別冊・バックナンバーより】、右下に縦組みの末尾に(太田)とある「編集後記」で、内容は異なる。増補新版は最後に1行空けて「*本書は二〇〇三年八月刊『文藝別冊 遠藤周作』の増補新版です。」とある。「編集後記」と奥付の詳細も気が向いたらメモするが、初版では「編集人/西口 徹」と「編集/太田美穂」と2人の名が挙がっていたが、増補新版は「編集人/太田美穂」のみとなっている。(以下続稿)