瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『鬼畜』(7)

・映画(7)野村芳太郎監督
 昨日の続きで、桂千穂+編集部「松本清張映像作品 サスペンスと感動の秘密メディアックスMOOK448)の、映画『鬼畜』に関する内容を見て行こう。
 まず、052頁のタイトルの右の枠にゴシック体で、

【作品紹介・桂千穂ラストシーンは父とかろうじて命を取り留めた子との再会。映画は言葉では/言い尽くせない衝撃と感動で締めくくられる。

とある。これは本文の最後の方(053頁下段11〜14行め)に、

 ラストシーンは父とかろうじ/て命を取り留めた子との再会。/映画は言葉では言い尽くせない/衝撃と感動で締めくくられる。

と同文があって、この枠は本文中から抜き出して導入に使っているらしい。タイトルの左の枠にはゴシック体でやや大きく、

子殺しを通して、切っても切れない親子の絆を描く。
岩下志麻が演じる妻が、本当に怖い。

とリード文がある。
 もちろんこれは4月29日付(4)に引いた、佐賀新聞論説委員U氏と同じ解釈である。
 続く編集部による【作品解説】は、タイトルの右のゴシック体のリード文に、

子殺しという重いテーマを扱った「鬼畜」。
原作、映画、テレビ版のそれぞれの違いについて。

とあって、原作がモデルにした事件のこと、原作と映画の時代設定の違いに触れ、そして、055頁上段4〜12行め、

 大きく異なるのはラスト。
 原作では、長男の利一が持っ/ていた石版のかけらから、その/後、夫婦が逮捕されるのを暗示/して終わる。だが、映画では、/父と子の対面があり、野村芳太/郎監督が、「どう取るかは観客にゆだねる」とした有名なクラ/イマックスとなる。*1

とする。
 ここで注意したいのは、2013年3月14日付(1)に指摘したように、チラシやポスター・予告篇が「切っても切れぬ親子の絆を描いて」などと、やたらと事前に刷込みを行っていたにも拘わらず、監督がここを「どう取るかは観客にゆだねる」とコメントしていることである*2。――結論から云うと、2013年3月15日付(2)に指摘したように、このラストシーンから「親子の絆」を読み取るのがそもそも無理なのである。つまり、宣伝と作品の印象が乖離するから「どう取るかは」云々と云うコメントになってしまうのだが、監督がこんなコメントをした意図などは、追って考えて見たい。(以下続稿)

*1:ルビ「りいち・のむらよした/ろう」。

*2:このコメントの出典は未確認。