瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森まゆみ『風々院風々風々居士』(1)

 本書については、9月6日付「山田風太郎『戦中派虫けら日記』(6)」及び9月7日付「山田風太郎『戦中派虫けら日記』(7)」に取り上げた。
 今回は「山田風太郎見参逐語録」以外のインタビューについて、197〜199頁「あとがき/風のように逝かれた」を参照しつつ確認して置く。
 75頁(頁付なし)は「ただぼうぼうと「風」の音」の扉で、題の下に硝子コップに口を付ける山田氏の写真。本文は77〜94頁。この対談については「あとがき」198頁4〜9行めに

 二章は「東京人」の山田風太郎特集のためのもので、編集者の遠藤敏之氏とカメラマンの/加藤孝氏と山田邸を訪問した日、大嵐のあとだったのを覚えている。私の庭のまんじゅしゃ/げもみななぎ倒されていた。風太郎先生は京王線が止まって困らなかったか、心配して下さ/った。風太郎特集のための巻頭インタビューというので写真も撮られたし、私はちょっと上/がってしまった。編集の遠藤さんが風太郎作品をよく読んでいて助けてくれなかったら、こ/こまでのことは聞けなかったと思う。

と説明されているのだけれども、聞き手は「――」だけで示されており、或いはその中に遠藤氏の発言も混ざっているかも(混ざっていないのかも)知れないが判別出来ない。なお「二章」とあるのは、197頁4行め〜198頁3行めまでの「山田風太郎見参逐語録」に関する説明でも、197頁4行めに、

 お会いすることになった経緯は一章の最後にある通りである。

とあって、「一章の最後」とは71〜73頁、森まゆみ風太郎邸探訪記」を指しているのだが、「目次」や各章の扉・初出データなどに「一章」などと番号による整理はないから、これは山田氏の没後、199頁12行め「二〇〇一年七月二十八日」から「あとがき」の日付(199頁14行め)の「十月十日」まで2ヶ月余で、199頁7行め「本書を急ぎ編んだ」と云う余裕のなさに起因する混乱かと思われる。
 95頁(頁付なし)は「明治小説の舞台うら――自著を語る」の扉で、題の下に煙草を指に挟んだ山田氏の写真。
 「あとがき」を見るに198頁10〜13行めに、

 三章は、筑摩書房版『山田風太郎明治小説全集』の愛蔵版につける「自著を語る」のため/のインタビューである。このころ先生は体調をくずされ、インタビューを快諾して下さった/ものの、少ししか語られなかった。話をひき出そうという思いと、お体への心配で四苦八苦/し、何だか私一人喋りまくっているようなところがあってつらい。

とある。未見だが「つける」とあるから月報のように別紙に刷って挟み込まれていたのであろうか。
 しかし、森氏の個人的な思いは別として、話題が特定の作品に限られ、森氏が制御して話が進んで行くから、山田氏がマイペースに話題を散らかしている「山田風太郎見参逐語録」より遥かに読みやすく、読後感もすっきりしてもやもやした感じが残らない。
 それでは目次に示されていない細目とともに、愛蔵版の書影を示して置く。133頁12行めの森氏の発言中に「この愛蔵版の装幀は清親の絵も使うんですけど……。」とある。
 97〜114頁「南町奉行所と警視庁/『警視庁草紙』

 115〜128頁「辻馬車に去来する人々/『幻燈辻馬車』 129〜142頁「北海道の監獄と囚人と/『地の果ての獄』 143〜160頁「空白の時代のめちゃくちゃなこと/『明治断頭台』エドの舞踏会』 161〜172頁「港から出ていった人、入ってきた人/『明治波濤歌』 173〜184頁「伝奇とはロマンなり/ラスプーチンが来た』『明治バベルの塔
山田風太郎明治小説全集〈6〉

山田風太郎明治小説全集〈6〉

 185〜195頁「五人のジャン・バルジャン『明治十手架』『明治かげろう俥』『黄色い下宿人』 『山田風太郎明治小説全集』は愛蔵版に同時並行してちくま文庫版が刊行されているが、文庫版には「自著を語る」は収録されていない。
明治断頭台―山田風太郎明治小説全集〈7〉 (ちくま文庫)

明治断頭台―山田風太郎明治小説全集〈7〉 (ちくま文庫)

山田風太郎明治小説全集 全14巻セット

山田風太郎明治小説全集 全14巻セット

 196頁(頁付なし)と奥付の裏は白紙。(以下続稿)