瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

上方落語「三年酒」の原話(6)

 昨日の続きで、(上)152〜154頁「二代目三木助三年酒余話」について。
 書き出し、152頁2〜4行め、

 私はかつて、旧師であった三代目桂三木助が生前に、
「これは俺の師匠の『三年酒』だ」
 といって大事にしていた録音盤があったことを記憶していた。

 
 都家歌六(1930.7.25)は(下)515〜527頁「あとがきに代えて――歌六・レコード半生記――」に拠ると、名古屋市東區(後の千種区今池の生れ、名古屋在住の雷門福助(1901.10.20〜1986.6.11)に小福の名をもらって天狗連として活動するうち、納屋橋にあった富士劇場と云う演芸場の昭和26年(1951)正月下席に出演していた三代目桂三木助(1902.3.28〜1961.1.16)に入門を許され、3月9日に上京、日本芸術協会(現在の社団法人落語芸術協会)に所属して桂三多吉の名で内弟子となり、昭和28年(1953)に師匠が田端に転居するまでが内弟子生活、昭和29年(1954)秋に木多蔵と改めて二つ目、しかしながら潔癖性の師匠とは性格的にそりが合わず、昭和31年(1956)5月、特に許しを得て四代目三遊亭圓遊(1902.2.12〜1984.1.9)門下に移り芸名を三遊亭方遊に改めている。
 してみると、二代目桂三木助(1884.11.27〜1943.12.1)の録音盤を見せられたのは恐らく昭和31年(1956)まで、152頁13行め〜153頁2行め、

 そしてこの録音盤は、当時大型の茶封筒に入れ、木の丸いお盆にのせて、簞笥の上の開き戸棚に/入っていた。中味は一度も聞いたことはないが、おそらく当時NHKの放送を録音したものだろう/――と私は自分で勝手に思い込んでいた。

とあるところからすると、昭和28年(1953)までの内弟子時代に見たもののようである。(以下続稿)