瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

阿知波五郎「墓」(7)

 前回から随分経ってしまったが、それまで借りていた本を返却して別の図書館で借り直し、その間にやはり懸案であった別の調べを足したりしているうちに手が離せなく(?)なって、借り直した本の返却期限が来てしまった。

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 10月6日付(3)に引いた、鮎川哲也が『怪奇探偵小説集』に本作を「採用」するのを「諦め」させた「ストーリー」の「矛盾する個所」とは、10月9日付(4)に指摘した、最後の場面が何時なのかが分かりにくいと云うことも候補の1つになりましょうが、それよりも10月10日付(5)の最後に述べた、自殺の方法と計画が合致しないことの方が、大きかったものと思っています。
 主人公は「暑中閉館の前日」である「七月十九日」に渋谷の裏切りを確認し、そのまま「暑中閉館」で「一ヶ月閉館」する「書庫」に自ら閉じこめられる「決心」をして、餓死するのです。そして死ねずにいる間に、保育園のことを回想し、「七月二十三日」になって10月11日付(6)に確認したような、実は「復讐にみちみちた」表面的には愛に満ちた遺書を書き始め、その遺書とともに自分の死体が発見された後のことを想像します。――「七月二十三日」条の最後、この日に書いた遺書の、最後の段落から、後の地の文を抜いて置きましょう。433頁17行め〜434頁12行め、

 渋谷さん、わたし忘れないわ、あなたの変らぬ愛情――私の屍体、屹度、腐るわね。蛆も湧いてく/るでしょう。今は生きて居るのよ……細々と生きて居るのよ。あなたの愛情のたづなに縋って生きて【433】居るのよ……そのたづな離さないで頂けて、愛の強さをおわかりになって、わたしの心を……わたし/の心を、抱いて頂戴。わたし嬉しいわ。今日も暮れてゆく。本を仰いで……』
 しまは、ここまで書くと、にっと微笑んでペンを投げた。もう力がない。がくりとなって、原稿用/紙にうつ伏した。もっと身ぎれいに死なねばいけない。書庫を開けたとき、屹度誰もが見る――その/とき驚嘆と感激を与えねばならない。髪も梳りたい。化粧もしたい。卓子の上も整理したい。そして、/そして卓子の上へは横文字の女性史の文献を山と積んでおきたい。新聞が騒ぐわ。婦人雑誌は大きく*1/取扱うにきまって居る……渋谷は、義理にも他の女性のことを口に出すことも出来ない。それからは/世間の眼や、ジャーナリズムが渋谷をみつめるにきまって居る。あの女性に手紙も出せない。逢うこ/ともできない。渋谷は好むと好まないとに拘らず、私を悼まねばならない。私の告別式に、モーニン/グを着て、しゅしょうに立って居ねばならない。新聞社のフラッシュが光る。しまはそれを棺の中か/ら覗いてやる。覗いてやる。たとえ、しまの眼窩が腐り落ち、蛆虫がその眼窩からはい出ようと、屹/度見て居てやる。屹度見て居てやる……。


 果たして主人公の目論見通りに事が進んだかどうかは分かりませんが、主人公は独り、愛する人の職場に誤って閉じ込められ、ひたすら愛する人を思って死んでいく悲劇のヒロインを擬装するのです。
 しかし、これは、ここまでの設定と矛盾すると云わざるを得ないのです。(以下続稿)

*1:2020年6月9日追記】「婦人雑誌が」を「婦人雑誌は」に訂正。