瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

阿知波五郎「墓」(25)

・「七月二十四日。」条(2)呪いから痩せ我慢へ
 434頁17行め~436頁1行めまで、20行に及ぶ遺書の一節は、

『渋谷さん、今日も一日中あなたのことを思いつめて居るのよ。どんなにおなかが空いて居ても、あ【434】なたのことを思えば不思議にその苦しみがなくなるの。信じるものは幸福だわ。私の痩せてゆく心の/中に、小さい灯が一つ点いて居るの。それは渋谷さんへの愛なの。決して消えないわ。‥‥

と始まっている。全くの偽りとまでは云わないが、これまで確認して来た通り、殆ど嘘である。しかし、これに続く、435頁5~13行め、渋谷との交際が順調だったときの回想は、本当であろう。恋に舞い上がった主人公の幸福感、そして閉館後、書庫を一緒に出て、ある日渋谷に所謂連れ込み宿に連れて行かれて、関係を結んだらしいことが示唆されている(435頁12行め)。渋谷との交際は2016年10月10日付(05)に見た通り、好意を抱いていた渋谷に書庫で強姦されたことが切っ掛けなのだけれども、そこを隠蔽しつつ、2人の関係が清いものではなく、渋谷の主導で最後まで進んでいたことを暴露している。何もなかったのに主人公が勝手に熱を上げて、実は全く相手にしていなかった渋谷に、ありもしない妄想をでっち上げて復讐した、と云う言い逃れは、414頁7~8行め、主人公も「顔見しりの小/使」が大学の側にはいて、そして保育園には6月16日付(18)に確認したように、渋谷が直接「電話」しているくらいだから、もともと成立し難かったのだけれども、これで決定的に成り立たなくなったと云えるだろう。
 そして、回想に続いて、渋谷との実際の関係を知らない第三者には、極限状態にあって渋谷への愛に全てを振り向けざるを得ない状態が書かしめた少々強烈な表現、程度にしか映らないであろうが、渋谷にとっては骨身に沁みるような呪いの文言が記される。13行め~436頁2行め、遺書に続く段落まで抜いて置こう。

‥‥。わたしのような幸福ものないわ。屹度お見すてないでしょう。離/しちゃいや。わたしお離ししないわ。離すものか。こんなに痩せて……仕舞には骨だけになって了う/んだけど、離さないわ。決して離さないわ。わたし灰になっても離さないわ。あなたのおあとから、/いつまでも、いつまでもお守りしててよ。しま! とお呼び下さい。わたし、きっと、そのときはお/側に参りますのよ。姿は見えなくなっても、わたし、すうーッと飛んで行けるの。そして、あなたの/横にぴったりより添って歩くわ。音がなくっても、姿は見えなくってもご心配ないのよ。霊魂なの【435】――私の愛情の晶華なの。霧のように見えなくなっちゃうのね』
 今日は、これだけの文章を何度も何度もかかって書いた。


 さて「今日は」とあると、もうこの日の遺書はこれでお終いのように読めるが、以後も断続的に3行(437頁9~11行め)、2行(16~17行め)、4行(438頁3~6行め)と書き足されている。ここまでの練りに練った文面とは違って、余裕のない、痩せ我慢のような断章である。
 そして、遺書の書き足しを挟んで、436頁3~18行め、自分が消息を絶って「六日目」、3~4行め「青葉/園の子供たちも屹度うすうす、ことのなりゆきを感知して居るに相違ない」と、また太郎のことを思い出す。そして、6月14日付(16)に見たように、出発に際し、1人だけ主人公の嘘を見破っていたらしい太郎が、園長に、主人公は上高地になど行っていない、大学の図書館に閉じ込められて泣いてるよ、と告げ口することを期待するのである。
 それから437頁1~5行めに( )で括って、園で流感が流行ったときの回想があり、6~8行め・12~14行め、目が覚めて身体の異変に気付き、12行め「ハンド・バッグから懐中鏡をとり出して」顔を見て、泣きながら化粧する。そして、最後には、438頁7~11行め、僅かでも口に出来るものを求めるばかりで、しゃば気・貪らん・欲望が主人公の世界からはなくなってしまったことが語られる。(以下続稿)