10月6日付(3)に引いた、鮎川哲也が書いていることと同じく、私も当初、特に違和感を感じませんでした。それ以上に主人公の情念に気圧されると云うか、鮎川氏も結局、連載時には別の作品を載せたのを『こんな探偵小説が読みたい』では本作に差し替えたように、読者を引き込む魅力を本作は持っています。しかし細かく検討してみると、鮎川氏が当初、アンソロジーに収録しない判断をしたのは、やはり正当であったと思うのです。
親友に自殺を予告した遺書を残しながら(一種の擬装工作ではあるのですが)新たに、誤って閉じ込められてしまったかのような遺書を書いたり、劇毒薬を盗んで所持しているはずなのに、苦しみ抜いて餓死を待つことになったり、――閉じ込められて以後の主人公の行動が、それ以前にしていたことと齟齬しています。これでは確かに「加筆訂正を要請」しない訳には行きません。10月6日付(3)に「実はかなり単純な誤りで、その対処も案外難しくないように思う」と書いたのは、差当り11月1日付(8)の最後に示したように「昇汞錠」云々を削除すれば良かろうと考えていたからですが、実際にはそこまで単純な誤りではありませんでした。
なおこの作品に関連して、終戦直後の保育園や、里子先で就学させてもらえずに労働させられていた戦災孤児など、なお調べるべき問題がありますが、内容の検討はひとまづ打ち切って、差当っての課題である「閉じ込められた女子学生」との関連を見て置くこととしましょう。
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10月2日付「閉じ込められた女子学生(2)」にて、9月27日付「「ヒカルさん」の絵(06)」に取り上げた松山大学の話と似たような話が、ほぼ同じ時期に日本大学芸術学部写真科でも行われていたらしいこと、そしてその調査時期が双方とも正確に分からないことに不満を表明して置きました。
似たような話が、相互に関係が想定されない場所に現れたのは、1月15日付「赤い半纏(01)」及び1月16日付「赤い半纏(02)に見たラジオ放送のような、同時多発的な反響を呼ぶものではなかったにせよ、何らかの、距離を超越する発生源が、ちょうどその頃に存在したからだろう、と思うのです。
私はそれを、この小説だと見たいのです。刊行されたばかりの『こんな探偵小説が読みたい』を読んだ大学生が、夏休みに学内に閉じ込められた若い女性の話を面白いと思って友人に語る、それがいつしか、その大学の話として根を下ろし(かけ)たのを、近藤氏と松谷氏が掬い上げたのだろう、と考えたいのです。
そこで問題になるのは、時差です。10月4日付(1)に見たように、『こんな探偵小説が読みたい』は平成4年(1992)9月刊です。松谷みよ子『現代民話考12』は平成8年(1996)5月刊、近藤雅樹『霊感少女論』は平成6年(1994)までの調査で平成9年(1997)7月刊、ともに下限は『こんな探偵小説が読みたい』刊行後に設定されますが、上限は『こんな探偵小説が読みたい』を遡ってしまうのです。もちろん、私はそれを承知で「閉じ込められた女子学生」の怪談の源泉を、阿知波五郎「墓」に求める筋を提示するつもりですが、確実なものとして示すことは出来ません*1。いえ、上限が『こんな探偵小説が読みたい』より後だとしても確実だなどとは云えないのですが、一層曖昧な、1つの可能性として提示せざるを得なくなります。
そこで、最近の民俗学者に物申したいのは、かつて柳田國男が主導して昔話を「採集」したときには、調査の日付も必ず提示するくらい慎重だったのが、何故こんなに曖昧に、と云うか好い加減になってしまったのか、と云うことなのです。その辺りの苦情は『現代民話考』について、或いは近藤氏や常光氏の著述について縷々述べて来ましたから(実は述べたつもりになっているだけでそんなに書いていないかも知れませんが)改めて繰り返しませんが、物を考える際に、明瞭な筋を引くことを阻害する、甚だ宜しくない示し方である、と云うことは、申し上げて置きたいのです。(以下続稿)
*1:【2017年2月6日追記】この見当は誤りとは断定出来ないが『こんな探偵小説が読みたい』から出たのではなかった。2017年2月6日付「閉じ込められた女子学生(4)」以降に詳細を述べるつもりである。